烏帽子島灯台|福岡県糸島市
烏帽子島灯台|福岡県糸島市 2024年10月19日
1875年(明治8年)8月1日点灯。
ブラントンによって唐津湾から北東約23km沖の玄界灘の孤島、烏帽子島に建てられた烏帽子島灯台は、レンズを含めた灯器、鉄材が英国からの輸入だったため当初の予算よりも高騰し、また絶海の孤島である烏帽子島への工事材料の輸送や追加工事が相次いだため起工から竣工まで2年6カ月という難工事を経て建てられた。
建設にあたって当初は日本人技術者により独力で建設したいと願い出ていたものの、時期尚早としてブラントンに拒否されている。筆頭工事担当者には犬吠埼灯台建設で国産レンガ使用で英国人技師と対立したとされる(すでに国産レンガが広く使用されていたため、対立はなかったという説もある)中澤孝政がいた。
初代烏帽子島灯台は鉄骨造の八角形で、高さ約10m。職員の住居と貯水槽及び貯油槽は石造であった。烏帽子島に建てられた洋風建築を灯台職員は「玄界灘の大英帝国と呼んだ(『朝日新聞佐賀県版2008年5月9日)。しかし陸地から遠く、過酷な生活環境の烏帽子島灯台の官舎は建設途中で小川島への設置に変更され、さらに内陸の唐津の呼子港へと設置が変更された。
明治9年1月には交代のために呼子の官舎から烏帽子島に向かった船が逆風のため転覆。灯台看守2名ほか水夫7名全員が亡くなっている。
点灯して100年目にあたる1975年(昭和50年)10月にコンクリート造で改築され現在に至る。
参考
『燈光 2005年3月号』 公益社団法人 燈光会
『明治の海を照らす』 稲生淳 七月社
『お雇い外人の見た近代日本』 R・H・ブラントン/徳力真太郎訳 講談社学術文庫
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