大王埼灯台|三重県志摩市
大王埼灯台|三重県志摩市 2023年5月3日
1927年(昭和2年)10月5日点灯。
三重県東部の大王埼沿岸周辺は険礁、暗岸が点在しており、古くから安乗埼、鎧埼と並び「志摩三埼」と呼ばれ海の難所として知られた。なかでも高さ8.4mの大王岩(大王島)は「伊勢の神埼(こうざき)、国埼(くざき)の鎧、波切(なきり)大王なけりゃよい」と唄われるほどで、その大岩の名は船乗りには脅威であった。同地では1913年(大正2年)に死者51名を出したサンマ漁船の遭難事故、1918年(大正7年)には巡洋艦「音羽」が大王岩に激突座礁するなど大きな事故が相次いだ。
しかし大王埼灯台の建設計画は明治17年からあったものの、1923年(大正12年)の関東大震災により被災した灯台の復旧が優先されたことなどがあり、計画から建設まで実に43年もの年月がかかった。
当初の灯台建設予定地であった場所は現在より北の大王岩に直面した大王埼(現在は大王埼ディファレンシャルGPS局がある※旧大王埼無線方位信号所。大王岩照射灯が併設されている)であったものの、そこには元海軍の望楼や旗竿、展望台の一部があったため海軍省より敷地使用の同意を得ることができなかった。そのため建設地は建設が可能であった現在の灯台の位置に決まったという。現在の大王埼灯台が建つ場所は実は大王埼ではなかったのである。
また、現在の灯台の敷地内には波切九鬼城址という織田信長や豊臣秀吉のもとで活躍した九鬼水軍の「波切城」があったところでもある。
大王埼灯台は当時角型が主流だったコンクリート造灯台なかで珍しく円形白塗りの灯台として作られた。灯器は四等二面閃光フレネルレンズで「チャンス式石油蒸発白熱燈機」を使用。レンズは初点から2005年11月までの約80年間使用された。現在では水銀灯と反射鏡を組み合わせたLU-M型灯器が使われている。
太平洋戦争では米艦載機の機銃掃射により大きな被害を受けた。
1978年(昭和53年)には大改修が行われ現在に至る。
大王埼灯台は全国で16あるのぼれる灯台のひとつで、「日本の灯台50選」にも選ばれている。
参考
『燈光 1927年9月号』 公益社団法人 燈光会
鳥羽海上保安部 主な航路標識
https://www.kaiho.mlit.go.jp/04kanku/toba/a/A-5-daiou.html