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六連島灯台|山口県下関市

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六連島灯台(B)|山口県下関市 2021年10月16日訪問

六連島灯台は下関港北西沖に浮かぶ六連島に1871年(明治4年)に建てられた。リチャード・H・ブラントン設計で、石造の半円形の付属舎に灯塔が立つ。2020年に国の重要文化財に指定された。

 六連島灯台は条約灯台と呼ばれる灯台のひとつ。
1864年(元治元年)にこの関門海峡で長州藩と英仏蘭米の四か国連合艦隊との間で馬関戦争(四国艦隊下関砲撃事件)が起こり、敗れた長州藩(幕府)は多額の賠償金を支払うことになった。1866年(慶応2年)に英仏蘭米の四か国は賠償金の減免と引き換えに十二条からなる江戸条約(改税約書)を幕府と結ぶ。十一条には「外国交易のため開港する全ての港への航海の安全のために必要な灯台、浮標、立標を整備する」と定められ、江戸条約によって国内8灯台の建設が決定する。

江戸条約 8灯台
観音埼灯台(神奈川県 初点灯1869年)、野島埼灯台(千葉県 初点灯1869年)、樫野埼灯台(和歌山県 現存・現役、1870年)、神子元島灯台(静岡県 現存、1871年)、剱埼灯台(神奈川県 1871年)、伊王島灯台(長崎県 1871年)、佐多岬灯台(鹿児島県 1871年)、潮岬灯台(和歌山県 1873年)

1867年(慶応3年)イギリスはフランスとともに兵庫港の早期開港を幕府に迫り、兵庫港への航海の安全確保のため、幕府との間に大坂約定(大坂条約)を結ぶ。大坂約定によって江戸条約の8灯台に5基が追加され、六連島灯台もそのひとつとして建設された。

大坂条約 5灯台
江埼灯台(兵庫県 現存・現役・1871年)、六連島灯台(山口県 現存・現役・1872年)、部埼灯台(福岡県 現存・現役・1872年)、友ヶ島灯台(和歌山県 現存・現役・1872年)、和田岬灯台(兵庫県 現存・廃灯・1872年)

この江戸条約8基、大坂約定(大阪条約)5基の合わせて13灯台を“条約灯台”と呼ぶ。

 また、六連島のある関門海峡は、上海・横浜国際航路(上海→長崎→関門海峡→瀬戸内海→神戸→紀伊水道→横浜)の要衝でありながら、関門の名の通り、岩礁や浅瀬が点在し大変危険な航路であった。上海・横浜国際航路には1870年代に六連島灯台のほか、白洲灯台(福岡県 1873年)、部埼灯台(福岡県 1872年)、和田岬灯台(兵庫県 1872年)、友ヶ島灯台(和歌山県 1872年)、神子元島灯台(静岡県 1871年)と国際航路上重要な灯台が建設されている。

1872年(明治5年)、明治天皇は西国・九州巡幸で西郷隆盛ら政府高官とともに六連島灯台を訪れている。

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※六連島から見える関門海峡の潮流信号電光版
E=東流 玄界灘から周防灘への潮流
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6=流速6ノット
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↑=今後流速は早くなる

航路標識番号
[国際標識番号] 5537 [F5334]
位置 北緯33度58分41秒 東経130度52分04.5秒座標: 北緯33度58分41秒 東経130度52分04.5秒
所在地 山口県下関市六連島
塗色・構造 白色 塔形 石造(花崗岩)
レンズ LED灯器
灯質 単閃白光 毎3秒に1閃光
Fl W 3s
実効光度 閃光 3,700 cd
光達距離 閃光12.0海里(約22km)
明弧 140度 - 12度
塔高 10.6 m (地上 - 塔頂)
灯火標高 27.9 m (平均海面 - 灯火)
初点灯 1872年(明治4年11月21日[注 1])
管轄 海上保安庁
第七管区海上保安本部
門司海上保安部





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すずきたけし
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