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金華山灯台|宮城県石巻市

ILLUMINATED 1 NOV 1878
明治九年丙子十一月十日初點
 

金華山灯台(A)|宮城県石巻市 2024年10月13日

1876年(明治9年)11月1日点灯。
 鮎川港の沖合、金華山の南西端に位置する金華山灯台はアメリカ航路の船舶にとって重要な目印であった。
設計はリチャード・H・ブラントンだが、本灯台の完成前の同年3月に解雇となり、灯台の完成を待たずに帰国した。

 灯塔構造は円形石造で、下部には半円形の附属舎(石造)があり、石材は花崗岩(御影石)で産地は不明。
灯室は青銅製鋳物で、内部には4本脚のレンズ台とレンズが設置され、縦羽目板仕上げ。半径付属舎も同様に縦羽目板仕上げだった。
 1876年の建設から1960年代まで大規模な整備が行わていなかったが、1969年(昭和44年)に鉄筋コンクリート造で補強され、設置当時の縦羽目板仕上げは撤去されモルタル塗りへと変更された。また灯芯部に設けられていた分銅筒も撤去されている。

燈光会より

 1897年(明治30年)2月20日の仙台沖地震(M7.4)ではドーテー式四重芯火口灯器が大破。翌年8月5日に復旧されるが、灯器は初点灯時の第一等不動レンズからフランス製の第二等レンズの水銀槽回転式(横浜工場製造)に変更された。取り外された初代第一等レンズは25年後の1923年(大正12年)に北海道の神威岬灯台に再設置された。その後1960年まで神威岬灯台のレンズとして使用されたがLB-90型レンズに取り替えられることになり、1961年に金華山の初代レンズは大阪のテーマパーク「みさき公園」にある観光灯台の展示室で保存公開された。園内での役目を終えたレンズは大阪で保管されていたが、2020年3月末に「みさき公園」が閉園することになり、2022年に神威岬自然公園内の観光施設「カムイ番屋」の2階で“国内唯一の現存物”として一般公開された。

太平洋戦争時の1945年(昭和20年)7月26日に米潜水艦の艦砲射撃により灯台長が殉職。同年7月から8月にかけて米艦載機による銃爆撃により灯台各施設に被弾したが人的被害はなかった。

金華山の島の歴史は古く、八世紀の頃に日本で初めて金を産出して朝廷に献じたことから「金華山」と呼ばれる。

鮎川港 
金華山へは鮎川港から海上タクシーで15分ほど
金華山黄金山神社
金華山港から徒歩2時間ほど
金華山沖で行合う大洗~苫小牧の深夜便「商船三井さんふらわあ だいせつ(手前)」と「さんふらわあ しれとこ(奥)」。 2025年に「さんふらわあ かむい」と「さんふらわあ ぴりか」の新造船に切り替わる。

参考
『燈光』2007年6・7月号  公益社団法人燈光会
『明治期灯台の保全』 財団法人 日本航路標識協会
来年8月に一般公開!灯台レンズが60年ぶりに里がえり【北海道積丹町 神威岬灯台】2021年10月8日|海と灯台プロジェクト 
https://toudai.uminohi.jp/report/post-4653/

航路標識番号
[国際標識番号] 1728 [M6546]
位置 北緯38度16分35.78秒 東経141度35分2.66秒座標: 北緯38度16分35.78秒 東経141度35分2.66秒
所在地 宮城県石巻市鮎川浜金華山
塗色・構造 白色 塔形 石造(花崗岩)
レンズ 第2等フレネル式
灯質 単閃赤白互光
毎20秒に赤1閃光白1閃光
実効光度 320,000 cd
光達距離 20海里(約 37 km)
明弧 189度から45度まで
塔高 12.82 m (地上 - 塔頂)
灯火標高 54.6 m (平均海面 - 灯火)
初点灯 1876年(明治9年)11月1日
管轄 海上保安庁
第二管区海上保安本部

Wikipedia


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