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ほんの小さなきっかけで人生には変化が生まれる。/『FlyFisher』2017年9月号掲載
ほんの小さなきっかけで人生には変化が生まれる。
※『FlyFisher』2017年9月号掲載
今号で月刊誌としての本誌は最終号となる。
2012年の2月に店でフライフィッシングのイベントを開催するにあたり『FlyFisher』、『FlyRodders』、『フライの雑誌』と異なる会社のフラフィッシング専門誌に協力してもらった。
東日本大震災の年は、釣りを始めて一度も川に行かなかった初めての年となった。その翌年は僕自身が川と釣りへの意識がそれまで以上に高まっていたこともあり、フライフィッシングに本気で向かい合うことを決意した年でもあった。
そのイベントの少し前、本誌『FlyFisher』誌上では読者から2000字のコラムを募集をしていた。僕はイベントに合わせて掲載されたら宣伝になるなという下心もあり、釣りに関するコラムを書いて送った。内容は初めてフライフィッシングで魚を釣ったことのコラムだったが、実は募集はすで終了していた。しかしそれを読んでくれた当時の本誌編集長が気に入ってくれてコラムの連載が始まった。気がつけば5年以上も本誌でコラムを書かせてもらった。第1回目のコラムは『マクリーンの川』と映画『リバー・ランズ・スルー・イット』について。いま読み返すとかなりぎこちない文章ではあるが、締め切りまでに何度も書き直し、何度も読み直し、何度も友人に読んでもらい、そしてまた書き直した思い出深いコラムである。
それ以来、ほかの雑誌からコラムや書評の依頼をいただくようにもなり、また「ウェットフライの釣り方を教えてください」や、「タイイングを教えてください」とお店に相談にくる人もいた(釣り雑誌で連載している人すべてが釣りが上手い訳ではないと強く言っておきたい)。
ほんの小さなきっかけで人生には変化が生まれる。
つい先日、僕の勤めている書店は20年にわたる営業に幕を下ろした。あわせて僕もこの7月で退職することになった。本誌の発行の季刊化を聞かされたとき、変化は重なるものだなと思った。本誌の月刊号最後にお付き合いできたことを光栄に思うと同時に、毎月もらっていた原稿料が無くなるという一抹の寂しさもあった。
また、6月に毎年通い続けた福島県の渓流沿いにある食堂が今年を最後に三十数年の営業を終えるという。通い続けて10年近くになる食堂で、ご夫婦にはとても親切にしてもらった。
変化は重なるものである。
そこで僕は「変化とは転機」であると考えることにした。毎年同じ川に通い続けると毎年わずかに川が変化していることに気がつく。ある年、大雨で川底が土砂に埋まって川が激変したことがあった。その年のシーズンは釣りにならないほど環境が変化したが、その翌年に足を運ぶとか川底の土砂はすっかり洗い流され、これまでになかった川筋が生まれて川は美しく新しい表情を取り戻していた。
川は変化を受け入れて新しくなり、我々をまた幸せにしてくれるのだと感動したものである。
『マクリーンの川』の中で、「人生の物語は書物よりも川に似ている」と語る著者のノーマン・マクリーンは続けてこう語る。
「(人生とは)川のように、鋭い曲がり角や、丸く深い淀み、沈殿した砂利があり、また静けさが最後に現れるだろうと思ってもいた。フィッシャーマンには、川の姿を調べるときの自分のやり方を説明する独自の言葉がある。〝川を読む〟といった言い方だ。そして、わたしは自分の人生の物語を語るにあたってたぶん同じようなことをしなくてはならないだろうと思う」
フライフィッシャーは人生を語るときに川に喩える。ありきたりだと思うかもしれないが、それはフライフィッシャー独自の人生を見つめる術なのである。
川は変化を繰り返し、美しくあり続けるものなのだ。
マクリーンの川
ノーマン・マクリーン/〔著〕 渡辺利雄/訳
集英社文庫 628円※品切れ
連載陣からの寄せ書き『FlyFisher』季刊化にむけて。
※『FlyFisher』2017年9月号掲載
僕がフライフィッシングを始めたのは30歳を過ぎてから。
しかもそれまで釣りの経験がないというど素人であった。身近に釣りをする人間がいなかったために、フライフィッシングを独学で学ばなければならなかった僕にとって書物が唯一の先生だった。そんな時、働いていた書店の雑誌コーナーにあった『FlyFisher』2006年12月号の表紙が飛び込んできた。
表紙には転がる酒ビンとフライロッド。その傍らで幸せそうに寝袋で眠るフライフィッシャー。海外のトラウトバムたちを特集した本誌は僕のフライフィッシング観を決定づけた。魚を釣る目的のためだけに最短最良を目指す釣りではなく、フライフィッシングと人の生き方が交わるその釣りに僕は魅了された。
「魚より、川と虫ばかり考えている釣り雑誌」
釣りをしない人に本誌を説明する際にこの言葉をよく使う。変な顔をされることが多いが、これはフライフィッシングの本質ではないかと僕は思っている。魚という結果よりもそこにたどり着くまでのプロセスを楽しむ。
先にあげた『FlyFisher』2006年12月号の表紙にはたった一言だけ書いてある。
“Life is Beautiful フライフィッシング中毒”
これからも『FlyFisher』は麻薬のような釣りであるフライフィッシングの中毒者を増やすことになるだろう。中毒にさせられた僕が言うのだから間違いない。
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