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陸奥弁天島灯台|青森県むつ市
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陸奥弁天島灯台|青森県むつ市 2024年6月14日
1945年(昭和20年)1月22日点灯。
脇野沢の牛の首農村公園から沖に約800mの位置にある鯛島に建てられ、青函連絡船の時代では重要な視認標識のひとつであった。灯台の建てられた島はその名の通りその形から鯛島と呼ばれている(写真ではわかりにくいが横から見ると鯛というよりクジラのように島が見える)。
鯛島が弁天島と呼ばれている理由は、延歴年間(800年ごろ)、坂上田村麻呂が東征のおりに地元の娘との間に一男二女をもうけたが、田村麻呂が密かに帰京してしまったため、残された娘は気が狂い毒蛇となって死んでしまった。その後、海で怪異が起こり、みな毒蛇となった娘の祟りだと恐れたが、弁財天の像を祀ったところ怪異が収まったと伝えらえる。この弁天様が島の突端にあることから鯛島は弁天島とも呼ばれている。また、鯛島周辺のわかめは、毒蛇となった娘の髪の毛ともいわれ、採る人もいないという話も伝えられている。
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参考
『燈光 1994年1月号』 公益社団法人 燈光会
陸奥弁天島灯台
航路標識番号 1544
塗色・構造 白黒横線塔形
灯質 群閃白光 毎7秒に2閃光
光達距離 14海里(約25.9km)
塔高 12m
灯火標高 36m
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