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ルイ16世裁判におけるサン=ジュストの演説(1792年12月13日)

市民諸君、

ルイは王であった。そして王とは何か? それは組織された犯罪の頭目である。

私はここで、ルイに対する審判がいかなるものであるべきかについて述べる。もしルイが有罪であるならば、彼は死ななければならない。もし彼が無罪であるならば、そもそも裁かれるべきではない。しかし、国家において王とは何かを問うならば、彼は有罪であり、国家の敵である。

共和国において、罪を犯した国王を裁くという考えは矛盾している。王は人民の自由に対する恒常的な脅威である。自由を望む国民にとって、王の存在そのものが罪であり、したがって彼を処罰することは当然である。

ルイを裁くことは彼の罪を認めることに他ならず、これは共和国の誕生と両立しない。なぜなら、共和国は王政を否定することで成立するからだ。共和国において、国王を単なる犯罪者として扱い裁判にかけるのは、まるで国家と彼の間に法的な関係がまだ残っているかのようである。しかし、革命はすでにルイを国家から切り離し、彼を人民の敵と定めたのではなかったか?

市民諸君、国民公会は立法機関ではない。公会は国家そのものである。国家は生存しなければならない。国家の敵はただ滅ぼされるのみである。ルイを弁護することは、自由を弁護しないことを意味する。なぜなら、ルイはすでに自由に対して戦争を布告しているからである。

ルイは死ななければならない。なぜなら、祖国が生きなければならないからだ。

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