憧れだけでは難しい不食 不食、というと全く食べない人とイメージがありました。実際、光で生きているジャスムヒーンは全く食事をとらないそうですが、そこに至るには肉体的、精神的な目に見えないたくさんの準備があってこそ。 基本的にはその準備が自然と調った人がその世界へ入っていくと私は考えていますが、意図的に不食に適した心身へ導く「21日間プロセス」というものもジャスムヒーンは提唱しています。 ただこのプロセスに入るにも色々と心構えや決まりごとがあり、痩せたい、憧れ、良さそう
欲望が削ぎ落とされ、ただ日常を回復することだけが一番の望みだった二日間。 とはいえ、風邪のようなもの。もしこれが大病や入院が伴うようなものだったら、そのダメージや衝撃は計り知れないし、人生観が変わるのも当然。 そして、いかに普段じぶんが心身健やかに幸せに過ごせているかを再認識し、そのことに感謝が湧きました。 本当に求めているもの 体調不良、、とはいえ携帯を眺める程度の元気は全然ある状態。 ゴロゴロしながら、たまたま流れてきた様々な起業家さんの投稿を見ていました。
食べたくない、、から徐々に回復し今はすっかり、楽しい空腹感が復活。今まで通りの、グゥっとお腹が鳴るまで待っての一日一食生活に。 それでも3日目くらいまでは、お酒はなくてもいけそう、、なんて感覚もありましたが、これも一週間で復活(笑) そもそも完全不食を目指しているわけでないですし、その気持ちを握っている以上「引き寄せの法則」的にみてもなるワケもないのですよね。 ココロはカラダに大きく影響される 今回の体調不調は喉の痛みから始まって、二日目は37.0°程度の微妙な微
週末、微熱と頭痛でほぼ何も口にしないでいました。 解熱し頭痛も取れた今朝、食欲はゼロ。 お腹も空かない。食べたくない。食べないでいたい。 コロナ感染以来の感覚です。 ここ最近はお腹空いた!美味しい♪のほどよい一日一食でしたが このまま少し過ごしてみます。
二つの快感 定番となりつつあるファスティング。定期的行なっている方も多いと思います。 ☑︎内臓やカラダが軽い ☑︎お通じが調子いい ☑︎思考が冴える ☑︎味覚が冴える ☑︎痩せる 様々な効果がありますが、おそらくファスティングブームを後押ししているのは カラダだけでなくココロのデトックス感を味わえるところが大きいのかな、と。 ファスティング後の心身の爽快感や体重の減少の達成感は、快楽物質のエンドルフィンの効果。 エンドルフィンは我慢の果ての解放や達成感で分泌す
願えば叶うはずの不食 本の中にも何度か出てくる ・私たち焦点を合わせるものが顕在化する ・人生とは自分自身の意思の反映 ・自分がそう思う事で、栄養素がそう作用していく そう!知る人ぞ知る「引き寄せの法則」で言われていることと同じ。 自分がリアルに願ったものは叶う。ということは プラーナで生きたい、そう願えばそうなる単純な宇宙の法則、、のはず それなのに、不食が続かなかったり、不食で体調を崩すのはなぜなのだろう?と疑問でした。 思考の準備が大事 本(神々の食べ
今の私たちに必要なのは物質からの栄養ではなく、ココロとカラダのもうひとつの栄養 “プラーナ” プラーナが不足したココロとカラダは疲れやすく、枯渇感を物質で満たそうとしてココロとカラダを重たくする “プラーナ”は呼吸で取り入れる"無限の宇宙エネルギー" 呼吸を“信じる、意識する、正しく行う" それだけでプラーナは私たちを満たす"生命エネルギー"に変わる✨ “呼吸”という純粋でクリーンなもうひとつの食事が、思考と肉体のぜい肉を落としていく 意識がフォーカスしたものを
前回の記事↑ 表から見るか裏から見るか 恥ずかしながら「自分が変わると楽」とは「自分の物事をとらえかたを変える」ということだと理解したのはつい最近のこと。 少し前までの私は「なんで自分の方が変わらなくてはいけないの」そんな気持ちがありました。でもそれはどこかで「自分は正しく相手が間違っている」そういう色メガネで物事をみていたから。 それが自分が世の中の「食の常識」というものから外れ「食べない」という少数派に入ってみると、一般的に考えれば非常識な「不食」も体験した人にと
前回の記事↑ 何を信じるかのベースは親の言葉。 刷り込みの価値観の弊害 様々な経験を重ねてものごとへの確信を高めて「こうしたらこうなった」の経験値は確信を増し、価値観として積み重ねられ、それがその人の真実となって善悪のベースをつくっています。 その中には、親からの「しつけ」も含まれ(というよりむしろ親の価値観をそのままダウンロードして大人になっていくと言った方が正しいかもしれない)それがまず無意識レベルに刷り込まれた判断基準に。 成長の過程で色々な人に出会い経験し自
↑前回の記事 これまで「食べないで生きること」.を綴ってきましたが、そう聞いて色々な意見があると思います。 「事実」と『真実』似ているようで違うもの 真実と事実。二つのニュアンスは似ているようで異なります。 「事実」→実際に起こった事柄を指す 『真実』→起こった事柄に対する人の解釈(見方、捉え方)が入っている 例えばコップが手から落ちて割れた→「割れたこと」=事実。 なぜ割れたのか?→落とした本人「手が滑った」それを見ていた人「わざと落とした(に違いない)」それぞ
前回の記事↑ リアル解脱 父はあのとき自分の命がもう長くないんて、全く思っていなかったと思います。だから逆に生きたい!という、みなぎるパワーもありませんでした。 ですが生きることを諦めたわけでもなく、むしろ「欲」というものを手放して感謝を感じ、今を生きていました。 幸いにも老衰に近い形でゆっくりと命を終えることができた父。あれはまさにヨガでいうところの「解脱」であったのではないかと、いま思うのです。 じつは呼吸を生業としているのに、ヨガのプラーナヤーマについては手つ
前回の記事↑ 常識を疑い始めた私の前に「必要なことは必要なときに起こる」の法則の通り「潜在意識の解放と意識改革」に決定づけた大きな出来事が起こりました。 父が教えてくれたもの 3月に突如父が倒れました。その際にコロナ感染が発覚し、そのまま入院することに。約2週間の隔離入院をきっかけに、父は口から固形物をほとんど食べられなくなりました。 5月の亡くなる1週間前くらいからは、必要最低限の基礎代謝をカバーする高カロリーの点滴が必要になり、輸血しなければいけないほどの重篤な貧
↑前回の記事 健康診断 ちょうどその頃健康診断ではコレステロール値が年々増加しているのを指摘され、食事を気をつけるよう言われていました。 158㎝50㎏、BMIは20。体重の30%が筋肉という体型。麺は苦手なので納豆にご飯に夕食の残りもののような一般的な主婦のお昼ご飯を一日一食。 物足りなさを補うために甘いパンをつまむのはありますが、大量の揚げ物やお肉を積極的にたべることはありません。お酒は人並みには呑めるので、コップ一杯程度の晩酌を週に2回ほど。週末は500ミリリッ
↑前回の記事 私のなかに複数ある「食べることへのストレス」 もう一つのストレスは「自分がインストラクターという仕事についたこと」でした。 健康は「運動と食事から」の呪縛 産後太りを解消したピラティスに魅了され、40代前半に飛び込んだインストラクターの世界。クライアントさんのカラダを健康へと導く立場で自分のカラダも商品の一部。 クライアントさまの手前、体型管理はもちろん体にも良い食事を心がけ「インストラクターとはこうあるべき」自分のなかでのイメージを作り上げて、それ
↑ 前回の記事 私にとって「食べることがストレス」となった「太る」のほかに、原因はまだありました。 それは「アレルギー体質」だったこと。 基本的なアレルゲンはハウスダストと呼ばれる「ダニ」でしたが、食べ物にもいくつかのアレルギーが。 そのひとつが「生卵」 いまでは食べても問題はないのですが、幼少期は蕁麻疹反応が一番ひどく、高校生くらいまでは半熟状のものは避けていました。ただ当時もしっかり火が通っていたり、加工食品に加えられていてもとくには問題が無かったので比較的軽い
積極的に食べることを手放してからすごく感じるのは、現代の食べることは思考と深く関わっているということ もったいない 時間だから 体に良いから、体に悪いから 食べないと元気がでないから 一日に必要なカロリー、栄養はこのくらいだから そのほとんどは蓄えた知識や経験、親からの言葉で「何を、いつ、どれくらい」から「食べる、食べない」そのものも決めていて 私たちは「キチンと食べなければいけない」という固定概念に縛られていることにも、気づいていきました。 とくに「カロリー