危険な脱稿シャワー

はじめに


原稿を書き終えて、依頼元に送信する。一息ついて、シャワーを浴びる。
これ、ぼくにとっては危険な行為だと、さきほど気づきました。せっかくなので、そのことについて書いてみることにします。

脱稿とは何か

「脱稿」とは、原稿を書き終えた状態を指します。ぼくの場合は、依頼先に原稿を送信し終わったら、脱稿だー、というかんじになります。中には、書き終えたら脱稿、という人もいるとは思います。このあたりは個人の感覚の違いでしょう。
そして、脱稿というのは一つの区切りです。その原稿の(一旦の)終わりを示します。
ものかきではなく、クリエイターの方々でも、一つのお仕事が終わった後や作品が完成した後なんかには、同じような感覚になるのではないでしょうか。

シャワーを浴びるということ

さて、シャワーを浴びるという意味についても考えてみましょう。お風呂に入る、でも良いですが、筆者の場合は大半がシャワーですので、ここは便宜的にシャワーというふうにしています。
基本的にシャワーを浴びるという行為は、汚れを落として自らの身体を清潔にするためです。これには異論がありません。

そんなシャワーを浴びるのが好きな人、お風呂に入るのが好きな人、嫌いな人、いろいろな人がいるでしょう。そして、シャワーを浴びるということ、お風呂に入るということで得られる効果はもしかしたら人によって違うかもしれません。
リラックスできる、という人もいれば、疲れる、という人もいます。ぼくの場合は、どちらかといえば後者です。そう、疲れるのです。だから、シャワーを入るのには少しだけ気合いが必要です。よし、入るぞ!と思って入ります。
そして、タイミングも限られています。例えば、おなかがとんでもなく空いていたら、シャワーを浴びることはしません。ふらふらになってしまうので。
ほかにも、頭が痛い時にもシャワーは浴びれません。頭痛が増幅するからです。
そのほかにも、色々な制約があって、そのなかで入れるタイミングを見計らって気合いを入れて、シャワーを浴びます。


さて、身体の汚れを落とすという目的のシャワーですが、副次的に得られるものがあります。

それが、アイディアです。
リラックスしているからか、温かいお湯を浴びて脳が活性化するからなのかはわかりません。ただ、シャワーに浴びているとアイディアが出てくる、というのは確かです。
なかには、リラックスして何も考えることができない、という人もいるかもしれませんが、筆者の場合には、思考が加速する感じがあります。
だから、意味もなく(あるかもしれないけど)色々なことを考えます。
今は何時何分なのか、明日の予定はなんだっけ、今日はこの後なにしよう、あの原稿はこうしよう、あの文章はここを改善できそうだ、などなど。

ぼくは普段、出かける前にシャワーを浴びます。それは、これから人と会うから清潔にしよう、という心持ちもありますが、今日の予定を頭のなかで思い描く時間にもなるからです。


脱稿シャワー体験の前提

さて、ここまで書いたらわかる人にはわかるかもしれません。
脱稿直後のシャワーは、危険なのです。
しかし、時として、どうしても脱稿直後のシャワーになってしまうことがあるのです。

まずは、状況を説明しましょう。ぼくは原稿を書き終えて、依頼主に送信しました。その時点では、開放感もありますが、基本的には疲れています。やっと終わったー、という感じです。そして、原稿を送る際、締め切り間近になることがとても多いです。なんというか、そういうスケジュール管理を無意識のうちにしてしまっているのでしょう。
締め切りの日に送る、ということは締め切りの日にも書いている、ということになります。といっても、締め切りの日はたいてい、細かい修正や誤字脱字のチェックなどになることが多いです。しかし、やることはあります。しかし、そういう作業のほうが、かえって疲れたりもします。とにかく、締め切りの日、というのはそれまで書いてきたということもあって、疲れるものなのです。

締め切りの日は、起きてから作業にむかいます。時間に追われていますし、締め切りの時間はオーバーしてはいけないので、シャワーなど浴びずにカロリーだけ身体に入れたらすぐに作業に向かいます。時折、休憩なども挟みますが、気合いが必要で体力を使うシャワーは後回しです。

もう一つのポイントは、ぼくが売れっ子のものかきではない、ということです。常に多くの原稿を抱えているわけではないので、一旦の終わりの比重が大きいのです。

何が言いたいのかを一言でまとめましょう。脱稿直後は、疲れているのです。
しかし、シャワーは浴びなければなりません。なぜなら、身体の清潔を保ちたい、という気持ちはあるからです。そして起床直後(作業前)にシャワーを浴びることができていないパターンが多いからです。
なので、残り少ない気力を振り絞って、もう今日はやることもないしいいや!という気持ちでシャワーを浴びに行きます。


脱稿直後シャワー体験

やることがないし良いや、という投げやりで、それでいて思いっきり疲れている状態でシャワーを浴びます。シャワーを浴びると、脳が活性化します。しかし、考えることはその時はもうあまりない状態です。いつもなら、今後の執筆計画や修正点、アイディアが出てきてきます。それは、考えるタネがあるからです。しかし、脱稿直後は、仮に次に書くべき原稿があったとしても、一旦リセットの期間に入っているためそういうものは放置してある状態になっています。換言しましょう。頭の中は「ツカレター」でいっぱいになっています。頭の隅っこにある思考も、もしかしたら修正案などが送信先からくるかもしれない、という不安です。

そうすると、どうなるか。「ツカレター」が増幅します。最初前頭葉でよぎったのか、右脳だか左脳だかどちらかでよぎったのかは知りません。
だけど、とにかく、頭全体が「ツカレター」で埋め尽くされます。
身体というのは、頭からの信号で動きます。痛い、という信号を身体がキャッチして頭に送られて、頭が身体へその信号を送って、みたいな構造になっています。
確かに身体も疲れています。頭も疲れています。
頭が「ツカレター」でいっぱいになります。
そうすると、「ツカレター」という信号を身体に送ります。身体も「ツカレター」となります。身体の「ツカレター」という信号が脳に送られます。脳はシャワーによって活性化していますから、「ツカレター」が増幅して、さらに身体に送られます。なんという悪循環。ただでさえ気合いが必要で疲れるシャワーなのにもかかわらず、もう「ツカレター」しかありません。
そう、危ないのです。ツカレタで心身ともにいっぱいになるのは、とても危ないのです。というか危なかった。本当に。やるもんじゃないなって思ったので書いています。素人にはおすすめできない。いや、素人に近いからこんな目にあったのかもしれないけど。

危険な脱稿シャワーにならないために

ということで改善策を考えてみました。
過去、ぼくは確かにあまり脱稿直後にシャワーを浴びるということはしていませんでした。では、なにをしていたか。
もう頭ぱっぱらぱーの状態のまま眠りにつくか、何も考えないで良いようなゲームをするであるとか、ぼけーっとスポーツを観戦するなどをしていました。
つまり、一旦「ツカレター」を享受しつつも、クッションになるようなどうでもよさげなものを頭に入れます。それからシャワーを浴びるとどうなるか。

例えば、寝て起きてからシャワーを浴びたら、「いやあ、原稿も疲れたけどよく眠れたなー」が増幅されます。別にかまいません。
ゲームをしてからシャワーを浴びれば、さっきしたプレイなどが反芻されます。それはそれでかまいません。
とにかく、ワンクッションをおく、ということが大事です。「直後」が危ない、ということがよくわかりました。なんで入っちゃったんだろうね、本当。
今まで無意識で回避していた自分を褒めてあげたいです。


逃げだせた脱稿シャワー

さて、今回脱稿直後にシャワーを浴びて「ツカレター」でいっぱいになりながらとても危ない状態になったぼくが、なぜなんとか生き延びれたかを説明しましょう。

それは、この原稿です。
何を言っているのか、と思うかもしれません。

実はこの原稿、脱稿直後にシャワーを浴びた直後に書いています。髪の毛はまだ濡れています。シャワーを浴びながら「ツカレター」でいっぱいになった頭はまだフル回転しています。なぜ疲れるのか、いつもより疲れている、そういえばシャワー浴びている時は考えが増幅するよな、いやとにかくツカレター…ツカレター…危ない、ツカレター…危ない。こんなかんじになりながら頭がまとめていきます。
つまり、原稿やアイディアのタネが「ツカレター」からこの文章に移り変わりました。いや、移り変わってはいませんが、頭の片隅にあったアイディア(この文章)もだんだんと大きくなりました。その結果、疲れも増幅していますが、この文章のほうも増幅されました。それで、なんとかツカレターでいっぱいの状態から逃げだせたわけです。ということで、シャワーから出た直後に書いています。アイスは食べました、おいしかったです。

脱稿直後に疲れてシャワー浴びて疲れてさらにこんな文章書いて疲れているのバカじゃないのか。それはその通り。そろそろ髪を乾かしてきます。この文章を脱稿してまたシャワーを浴びたらどうなるのでしょうか。それはさすがにしません。それでは御機嫌よう。


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