コント「アトムより」――「より」とタイトルをめぐって

「アトムより」(from,than,near)
というお題をいただきました。

今回は、すこし、タイトルについて考えてみましょう。

皆様は、なにか作品を作ったりしますか?
その作品に、タイトルを自分でつけることはありますか?

僕自身は、タイトルをつける機会がちょこちょこあります。
それは、このEvernoteでもそうだし、
それ以外のシーンでもちょこちょこあります。

すこしだけ真面目な話をすると、だいたい、「タイトルはだいじだ!」といわれます。
もちろん、芸術作品などで、「これはふざけたタイトルだな」というのもありますが
それ自体が、目をひく一つの要因になってたりします。

まじめな論文とかだと、タイトルは、それだけで内容が伝わるようにします。
小説とかだと、なにかしらを「におわせる」というのもよいでしょう。

さてさて、
皆様はタイトルをつけるとき、
どのタイミングでつけていますか?つけると思いますか?

商品企画や、論文とかだと、
先に決めないと「いけない」ことがあります。

ただ、これはあくまでも、個人的なことを言ってしまうと、
作品自体が「出来上がって」から、タイトルをつけたい、と
僕自身は思っています。少なくとも、今回のこのEvernoteのタイトルは書き終わってからつけました(この一文も、書き終わってからつけてます)。

それは、内容が確定しているから。
そのうえで、遊ぶなり、におわせるなり、一言でズビッ!というなりが、できるからです。
もちろん、すげえ面白いタイトルが思いついた!ここから出発しよう!
も、あります。
その場合は、アイディアと、膨らませる勝負です。
キャッチコピーが思いつくというのは、ひじょうに素敵なことです。

ちなみに、登場人物の名前、なんかも
最初はプロットの状態でAとかB、としておいて
よい名前が思いついたらあてはめる、なんてこともあります。

で、この「アトムより」という作品のタイトル。
コレも、あくまでも個人的な憶測ですが、
このタイトルは、作品が完成した後から、つけられたものなのではないか、と思います。
作品、というよりも、正確には公演。
もっといえば、もしかしたら、「DVD化する際にタイトルをつけなければいけない」ので、
その際に、ということもあるかもしれません。
このパターンが、いちばんつけやすいです。


では、なぜ、「あと」になってから、つけられたと思われるのか。
そのことについて、お話していきたいと思います。
ただ、この「アトムより」という一つのコントを語るためには、
すくなくとも、公演「ATOM」にあるコントのいくつかに、触れなければいけません。
すこし、回り道をするかもしれませんが、
ひまなひと、興味あるひとは、お付き合いいただければ、幸いです。
(すでに1000文字も読ませておいて、そりゃないぜって思ってる方、ごめんなさい。)


けれど、けっきょくのところ、御題もそうですし、
問題となるのは、やっぱり「アトムより」の、「より」なのだと思います。
お題では、 (from,than,near)が付されていて、
まあおそらく、よりの活用法は、こんなものなのかな、と思います。

「手紙〜母「より」。」
「うどん「より」そばがすきだ。」
「もうすこし、右「より」に駐車したほうがよい。」

「よりいっそう」なんかは、~よりも、という過去との比較ですし、
だいたい、こんな使われかたをしている、と思ってもらって、よいと思います。

それで、結論を先取りしてしまえば、
この「アトムより」というタイトルはずるくて
後からつけている、ということも相まって、
これらの「より」、すべての活用法を内包している、と筆者は考えています。
もちろん、同じ公演内に「アトム」があるから、
どうやってつけよう、という葛藤はあったかもしれません。
だけれど、一つ目の「アトム」は、別にタイトルが「アトム」じゃなくてもよいわけです。
「未来」でも、「おかえりなさい」でも、「アトムと父さん」でも、「仮死状態維持装置」でも。

で、「アトムより」だって、べつに、そのタイトルじゃなくてもよかったわけです。
「のす!」とか、「だろわいよー」とか。いや、つけないな、これは。

まあ、そんなことはおいといて、とにかく、だから、
タイトル!後からつけたのだろ!ずるいぞ小林賢太郎!
と、おもってるわけです(筆者が卑屈なだけなのですが)。
ずるいぞ、というか、
うんまいこと、こみこみのタイトルつけやがったな!とか、ですね。
まあ、だからこそ、こんなお題がきたのだと思うのですけど。

そんなこんなで、
考察をすすめていきましょう。

てはじめに、「アトム」の時間について、考えてみます。
「アトム」の時代設定は、舞台中に言及があるように、昭和78or平成15(2003)年です。
で、「父さん」が眠ったのは昭和48(1973)年です。
さらに、「母さん」が起きるのは、平成25(2013年)です。

ちなみに、「鉄腕アトム」の誕生日は2003年4月7日らしいです。
ということは、もしかしたら2003年11月11日にはウランちゃんはいないかもしれませんね。
(ウランちゃんの誕生日はすこし調べましたがわかりませんでした。)
手塚治虫さんは、1972年から、2050年代のことを描いた続編の『鉄腕アトム』を描いているらしいのですが、
そうだとしたら、アトム好きなお父さんは、よく仮死状態維持装置に入ったなあ、漫画読みたくなかったのかなあ、なんて夢想するわけです。
だけれどきっと、お父さんは夢見た気持ちで仮死状態維持装置に入ったということなのでしょう。
「重力コントロールセンター」、なんて、よく思いつくなあ、と、お父さんに感心するばかりです。
だって、宇宙戦艦ヤマトも、銀河鉄道999も、ガンダムだって父さんが入った後に放映されてるのに!

話がそれました。
ところで、「アトムより」は、どういった時間軸なのでしょうか。
ここでは、「アトム」と「アトムより」は同じ世界線のものと仮定して、ものごとを考えています。
「アトム」が平成15年、で、「鉄腕アトム」がまだいない、としたら、
おそらく平成15年よりも後ということにはなります。

では、「ノス」と「鉄腕アトム」は、どちらが年上(?)なのでしょう。
トガシくんの発言から考えると、鉄腕アトムが飛んでいることは、彼らの日常に溶け込んでいます。
非日常じゃないです。
さらに、「お前も、飛べるやつならよかったのになあ」という発言と「鉄腕アトム」の存在から
飛ぶロボットが存在することがわかります。
だけど、ノスは飛べない。
としたら、ノスのほうが古いのでしょうか。
いや、そうとも限りません。
なぜなら、たとえば、カメラ付き携帯電話が発売されたからといって、
すべての携帯電話がカメラ付きとして発売されるわけでもないからです。
地上専用型とかがあってもいいし、
鉄腕アトムよりは安価でもいいし、
なんなら鉄腕アトムはやっぱり御茶ノ水博士が天才だからできたのであって量産はできない、
飛べるやつはそんなにいない、でもいいのです。

ただ、
鉄腕アトムがいるということは、「アトム」よりは、「アトムより」のほうが、未来であるということ。
それでいて「アトム」の時間軸と「アトムより」の時間軸を比べたときに、
「鉄腕アトム」に近い時間軸は、おそらく、「アトムより」のほうだとということ。

空を飛ぶほうが高次なので、
鉄腕アトムのほうが、最新ではありそう、ということ。
ざっくりした時間軸は、こんなかんじ。

「アトム」―――「アトムより」―「鉄腕アトム」

時間軸という意味において、「アトムより」は「鉄腕アトム寄り」。

さらに、「ノス」の構造もまた、「鉄腕アトムより」。
ノスは電池で動いてはいるけれど、
「ノス=NOS」で検索すると
「ナイトラス・オキサイド・システム」という、聴きなれないものがでてくる。
これは、エンジンシステムの一種のよう。
ノスにはこれが搭載されてるのかなあ、と思ったりもする。
だけど、鉄腕アトムはいうまでもなく、「原子の力」で動いている。
ここから考えても、「ノス」のほうが、旧型っぽくはある。
アイボも旧型で、これも電池で動いてはいるけれど、
ノスのほうが高度であることは間違いない。

それでいて、「アトム」にでてくる「アトム(つとむ)」よりは、
ノスの構造は「鉄腕アトム」に近しい。
だって、ロボットなんだもん。
だから、この意味においても、「アトムより」。
で、高次なのだから、当然
「アトム」の世界より「アトムより」の世界のほうが優れた、もしくは発達した世界なのは間違いない。

では「from」の意味は、どう解釈するか。
「アトム」のアトムや父さんからのメッセージなのか、
はたまた鉄腕アトムからのメッセージなのか、
それとも、鉄腕アトムへ向けたメッセージなのか、

たとえば、「アトム」からのメッセージだとしたら、
未来はこんな風になりました、となったりするだろうし、
鉄腕アトムからのメッセージだったら世界平和を願ってるだろうし、
鉄腕アトムへ向けたメッセージだったら空とべていいよね、とかになるし。

誰からの便りか。
誰へあてられた便りか。
そもそも便りか。
それすらも不透明にして、
すべての解釈を可能にしているかのようにもみえる。


さて、冒頭で、筆者は、「ずるい!」と言った。
ここまでみてきて、すこしだけわかる人には、わかるかもしれない。
というのは、こういうこと。
つまり、「アトムより」は、二つのアトムにはさまれてる。
鉄腕アトムと、アトム(改名したらつとむ)。
その間にいる、ということは
どうあがいたって、「アトム寄り」になる。
時間軸にせよ、thanにせよ。
そして、 世界はつながっている、としたのなら
どちらから、どんなメッセージがあったっていいわけで。
だって未来にはきっとタイムマシンがあるかもしれないわけで。
科学の発達は、過去からの影響を多大に受ける。
それでいて、未来も過去の影響を受ける。
鉄腕アトムの原作は1970年代に存在しているのに、
現実ではその影響を受けて未来に鉄腕アトムが存在しているように。

それでいて、未来につながる道のりだって、答えがあるわけでもないし、
「道中が楽しければそれでいいじゃん」。

アトムをつくる!ということが、科学の目的なのかもしれない。
だけど、もしかしたら、その目的さえ
「目的地にたどり着くことって、本当は目的じゃないのかもしれないね」。


すべての「より」を内包しながら、
どの解釈も可能な「より」をつけちゃうのは、やっぱりずるい。
だから、このお題には、こうやって答えようとおもう。

「アトムより」の「より」はずるさだ!と。





(初出:たぶん2017年7月)

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