貴方が誰か何かを愛する時、全く同時に愛されている
子どもの頃、とにかく母のことが好きだったことを思い出して、その満ち足りた感覚に浸っていると、フト思った。
この感覚は、愛されてると実感してる時と同じなのでは?
その瞬間、理解した。
愛してる時、同時に愛されてるのだと。
私たちは自己と他者を別のものと認識している。
だから、愛することと愛されることも分けて認識している。
本来一つのものを分割されたものと思っている。
与えることと受け取ることは同じ、
与えると同時に受けとっている、
と『奇跡のコース』にもあるが、このことかと思った。
幼い頃の溢れんばかりのこの感情を思い返すと、自然と涙が溢れた。
そこで気がついた。
私は、この愛をただ、ありがとうと受け取って欲しかっただけだったのだと。
そして思いを馳せた。
幼い頃に自分は愛されなかったと信じている人。
自分は愛されたかったと思ってる全ての人たちは、
本当は愛されなかったことを悲しんでいるのではなく、
自分がただ、貴方を愛しているということに対して、
「ありがとう」と受け取って欲しかっただけではないのか。
この溢れんばかりの、ただただ貴方がそこにいてくれて私は嬉しいという感情に対して、ありがとうと受け取って欲しかっただけではないか。
それは、見返りと呼ぶにはあまりにも細やかなもので、
愛してくれと要求していたわけではなかった。
それほどに深い愛を前に、私はただ頭を下げ感謝することしかできない。
相手の反応が自分の期待したものではなかった時、
貴方は貴方の愛を価値がないものと誤解して投げ捨ててしまったかもしれない。
自分から締め出してしまったかもしれない。
でも、それは今も貴方と共にある。
愛は貴方が再びドアを開けて迎え入れてくれることを待っている。
何故なら貴方がずっと自分を探していることを愛は知っているから。