小野寺邦彦

なにもかもを忘れたあとできっとまた逢いましょう。

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上演戯曲を販売します。『柔らかい非流線形のフーガ メメント/アライメント』

先日終演した架空畳上演作品『柔らかい非流線形のフーガ メメント/アライメント』の上演台本をここでデータ販売します。600円です。 この作品は座・高円寺 冬の劇場23 日本劇作家協会プログラム◎カンテン「The Foundations」という催しに参加した際に上演したもので、上演時間は概ね60分とちょっと、位です。演出次第ではありますが…。 「The Foundations」は主催興行ではなかったので、グッズ販売が出来ませんでした。なんかちょっと寂しいな、と思ったのと、コトバく

¥600
    • 肉焼く人生

      気が滅入る。 滅入るって凄い文字面だ。滅に入る。滅IN。滅入ることが多い日々だが、私は基本的に能天気な人間で、精神もわりあい安定しているタチだと思って生きているが、そんな私でさえ滅入らせるアレコレは大したものだ。 で、友達と話した。カレーを食べて珈琲を飲んで、沢山しゃべって、それからウチでカルボナーラを作って食べて、ゲームをした。 友達がやりたい、といったので、二人で協力してレストランにやってくる客をさばくゲームをやった。肉を焼いて、客に出して、汚れた皿を洗ってまた肉を焼く。

      • 夜のこと

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        ¥50,000
        • 文体を捨てること

          芝居を上演した後の感想で「こうした方がいいよ」というアイディアを頂くことがよくあるのだけど、まあ有体に言って、そのアイディアは当然、思いついていて、敢えて「そうじゃない」方向を選んだのである。 私も多くの場合観客であるからよくわかるのだが、創作物を観ながら自分が「思いついた」一つのアイディアというのは「それこそがベストだ」と思い込んでしまいがちだ。だが作者にとってそれは一観客の瞬間的な「思いつき」であり、創作の過程で何十、何百とリストアップし検討した結果「捨てた」一つのアイデ

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        ¥600

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          1本
          ¥50,000

        記事

          60分の

          「クァントム・アリアの碧い首」は、上演時間60分。 今まで書いたことのないスケールだ。 20分の芝居、30分の芝居、45分の芝居なら書いたことある。 それは短編というくくりで書いた。 短編、の定義は分からないけれど、予め設定された時間のスケール(ハコ)にエピソードを沿わせるよう、かなりストイックに意識して書いた。 エピソードを書いて、結果20分のスケールになることと 20分のスケールにエピソードを入れ込んでゆくことは 結果として同じ20分の芝居になったとしても、まるで違うもの

          並列世界の直列話法

          はじめて、自分の劇団以外に作品を書き、演出する。 「#家で出来る演劇」というユニットで8月末に上演する。 タイトルは『クォンタム・アリアの碧い首』。 https://note.com/playathome/n/nfa7ce7fe693b 家ではなく、寺の境内で上演する。 半野外劇、といった趣だ。 会場の下見に行ったが、風が気持ちよかった。眼下に墓地、東京タワーも見える。 昨年末にお話を頂き、「家で出来る」演劇、というコンセプトについて無いアタマを使って、考えた。私が、考

          並列世界の直列話法

          4月1日(2021)

          外で飲む珈琲と家で飲む珈琲の違い。外では多くても、2杯も飲めば満足なのに、家では幾ら飲んでも物足りない。 昼からオンライン会議が2件。夕方、散歩。雑貨屋でユニクロのキャップ107円で買う。ユニクロの製品は素晴らしい、のだろうとは思うが直接にお金を落とすのは何かシャクなので、中古でのみ買う。 夜。書き上げた戯曲を眺めている。とりとめのないものを、とりとめのないまま形にする、そんな方法を探していたが、まだそのワザはない。とりとめていくことに決める。 珈琲は7杯。

          4月1日(2021)

          断線

          iPadの充電ケーブルが断線した。寝床で充電しつつ弄っていたのだけど、寝オチ。起きると、根本の接続部分がぐんにゃりと曲がっていて、充電は切れていた。何度か抜き刺ししたが、復活せず。で、思い出したのは、幼少期のファミコンだ。ファミコンは頑丈だ。まず壊れはしない。子供が滅茶苦茶に扱っても大丈夫なように、それはそれは強固に出来ていた。だが、ケーブルはダメだ。本体に電源を送るACアダプターケーブルは、所詮、線のより集め、よく断線した。断線したケーブルで遊ぶため、各家庭で、さまざまにア

          行方不明

          ちょっと立て込んで、SNSに数日、姿を現さないと「行方が分からない」などと言われている。ジョーダンじゃないのである。 携帯電話を初めて持ったのは2003年の夏、21歳だった。当時にしても、充分、遅かった。大学の演劇部に入り、舞台監督という「連絡係りの大将」みたいな仕事を押し付けられた挙句、「お前とは連絡がつかないから、持て」と言われたのだ。しぶしぶ、受け入れた。 私はいつでも、私のいるべき場所にいる。あなたの位置から見えなくなったとしても、私はそこから一歩も動いていない。

          暗号を解くように

          てすさびにギターを弾く。ただ音を並べるのも飽きるので、他人に書いて貰った詞にコードを置いて曲にする。ヒトの書いた言葉に音を割り当てて1曲に仕立てるのは、暗号を解くような愉しさがある。石を掘って形を削りだすような感覚かもしれない。石削ったことないけど。 不思議だが、自分で書いた詩では、なかなかうまく音が乗らない。だが他人が書いたものであれば、例えどんなデタラメな言葉であっても、結構スンナリと出来上がる。

          暗号を解くように

          書類書き

          書類ばかり書く日々。企画書、文化庁への申請、税務関係。その実態は当然、データである。PC内に存在するあるフォルダ、あるものは「企画書」と書きあるものには「原稿」と書く。皆、おんなじデータなのにね。

          本を買う

          毎日、本を買う。新刊、古本、だいたい年に400冊くらいになる。その6割くらいは、読む。食事をしない日はあっても本を読まない日はない。 23歳まで煙草を吸っていた。やめたのは、当時付き合った女性が、煙草の煙アレルギーだと分かったからだ。アッサリと止めた。それまで、20本入りのピースを週に4、5箱くらい吸っていた。1箱320円くらいだった気がする。週に1200円~1500円くらい。吸うのをやめたとき、じゃあ毎週それくらいの金額が余ることになるわけだ、と思った。 余らなかった。

          傍若無人のこと

          傍若無人、傍らに人がいないかの若(ごと)く振る舞うこと。 15歳のある日まで、この「若」をごとし、ではなく、若者のことだと、何となく思っていた。若者はワガママで勝手だから、と。その頃、私は若者で、かつワガママなのは大人だと思っていたので、マチガった言葉だと思った。 15歳の冬、ちょっとした事件が学校であり、その対応で、教師が生徒を教室に閉じ込め、ひどく粗暴な振る舞いで威圧した。私はその事件にはまるで無関係かつ無関心だったが、ただ教師の振る舞いにおいてのみ気に食わず、腹も減

          傍若無人のこと

          年末へ

          年の瀬だ。先月のアタマまでは余裕のあったスケジュールが、気付けばビッシリだ。売れっ子というワケではない。誰かの尻をぬぐう、それで口に糊している。尻で糊だ。いかがわしい商いをしているワケではない。 いつまたロックダウンが宣言されてもおかしくない情勢。いく予定だった大迫さんの出演する芝居が、一旦延期との連絡。連絡自体は、1日に来ていた。朝、気付かなければ下北沢へ出かける予定であった。駅前のスターバックスへ行く。店内は超満員。劇場は閉鎖され、カフェは賑わう。珈琲をテイクアウトして

          2020年 8月

          15日(土) 昼前に起床。メールその他返信。12日に送った原稿の返事まだ来ず。問い合わせようかと思うが、まあいいかと放っておく。めだかの水を取り替える。藻がモリモリと繁茂して、水の中が見えなかったのが、先日までの長雨の日々、ある瞬間突然、スッキリと水が澄んで驚いた。調べたら、日光に当てていると藻が増え、遮断すると藻が死んで澄むのだという。なるほど太陽は偉大だ。一月近く、日光が差していなかったことが原因、しかし、本当に、夜には全く水の中が見えないほどだったのに、朝起きたらシレ―

          草刈音のない世界

          朝の8時30分丁度に、今日も草刈が始まった。睡眠中の人間にとっては耐えられない轟音だ。アタマを掻き毟りたくなる。 今年の異常な長雨で、植木屋さんも仕事が消化できず大変なのだろう。少しの晴れ間を見計らって、連日、家の前の草刈が行われている。それは結構なのだが、朝8時半。毎日、大体10時前後に起床している私にとって、睡眠の最もオイシイ、重要な時間帯なのである。うーむ、せめて9時にならないものか。変わらないか。 植木屋を責める気など勿論ない。それは誇るべき仕事だ。そもそも平日の

          草刈音のない世界