永遠に語れることって、ありますか?
あなたには、永遠に語れることって、ありますか?
あるとしたら、それは何ですか?
僕は、「本」と「文章」と「言葉」についてだったら、永遠に語れる気がする。それくらい、僕の人生において、それら3つは大きな比重を占めている。
経営者の父と、幼稚園教諭の母の元に生まれた僕は、幼い頃から本が大好きだった。読書好きな母が読み聞かせをしてくれたのが、僕が本好きになった大きな理由の1つだ。
ベッドに何度同じ本を持ってきても、母は嫌な顔ひとつせず、「昨日もこの本だったから、今日はこっちにしない?」なんて言うこともなく、いつも楽しく母なりの抑揚やリズムを付けて読んでくれたものだった。
2歳の僕が好きだったのは、『ひとまねこざる』。毎晩のようにベッドに持ってきたそうだ。すべての文章を丸暗記し、母がページをめくる前から、次のページの文章をそらんじていたそう。
言葉を口に出すのも早かった。1歳になる前に、単語での会話ができるようになっていた。3歳でひらがなをほぼマスターし、5歳にはすでに漢字が読めるようになっていた。
この子は天才だと言われた。
・・・ハタチ過ぎればただの人と言われるけれど、御多分に洩れず、16歳頃には、ちょっと勉強ができるだけの普通の高校生になっていた。
閑話休題。
母の口癖は、「人生は一度きりだけど、本を読むと他人の人生を追体験できる。人生を何倍も豊かに生きられる」。もっと子どもにもわかりやすい言い回しだったと思うけれど、本の素晴らしさを何度も繰り返し伝えてくれたのは母だった。
小学生の頃は、日曜日の朝から弁当を持って、母と妹たちと図書館へ行った。好きな本を選んで読み、借りたい本を選んで母に借りてもらった。昼は図書館の敷地内にある緑地のベンチで、弁当を食べる。
僕の読書体験には、母との幸せな時間が必ずあった。たとえば、七夕祭りは、必ず母と2人で見に行っていた。商店街の七夕の飾りを見たら、洋書を置いている街の小さな書店で本を1冊買ってもらい、喫茶店で本について母と話しながらチョコレートパフェを食べるのだ。
僕は、母を愛していたし、妹2人の3人きょうだいの中で、最も愛されていたと思っている。・・・妹たちも、同じように自分が最も愛されていたと思っているに違いないのだが。
現在81歳の母は、3年前に脳出血で倒れて生死をさまよい何とか一命はとりとめたけれど、そのまま高次脳機能障害となり入院が続いた。リハビリ病院に転院したが回復の兆しはなく、元に戻る可能性はゼロに等しい。
スピリチュアルを学んでいる僕は、寂しいけれど悲愴感はなく、むしろ以前より母を近くに感じている。機会があれば書くけれど、話せなくなってから母が僕に伝えてきたことがある。わかりやすい言葉でたとえると、テレパシーみたいなものだ。きっと人類がもともと使えていたはずのコミュニケーション方法なのではないかと思う。
さておき。
そんなこんなで本好きに育った僕は、5歳になる頃には「本を作る人になる!」と決めていた。「こんなに素晴らしい本というものを、読むだけではなく創り出す側になりたい」そんな素朴な意思は、今に至るまで、僕のコアとなり原動力となっている。
本は、時空を超えて言葉を届けてくれる。
そこには、あらゆる感情や感覚、エネルギー、振動が乗っているのだ。
それは僕を、ただただワクワクさせてやまない。
あなたの情熱の源は、何ですか?
あなたのコアとなり原動力となっているものは、何ですか?
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