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僕には妹が2人いる。
正確に言うと、いた。

なぜ過去形なのかというと、2人の妹のうちの1人は鬼籍に入ったから。

僕よりふたつ年下の上の妹は、背がすらっと高い美人だった。その妹は、2年前の冬に、旦那と子ども2人に見守られて旅立っていった。がんだった。

いったん寛解したがんが骨転移しており、抗がん剤ももはや効くことはなく妹の体力を奪うばかりだったから、妹は積極的な治療をやめて、自宅での療養を望んだ。

わかっていたはずだ。
自分が近いうちに死ぬことを。


妹は、僕とは違ってしっかりしていた。
いろんな意味で。だから、僕は妹には何となく見下されていると思っていた。それは完全なる誤解だったことが、後ほど判明したのだが。


子どもの頃は、きょうだい仲が良かった。当時の僕と妹は背格好も似ていて、双子に間違われることも多々あった。

思い出すのは小学生の頃、音楽が得意だった妹と合唱部だった僕と、よくハモって歌っていたこと。

声変わり前はソプラノだった僕は、アルトの妹の声と良く合った。何せきょうだいだから、声質はほぼ同じ。ハモりも気持ち悪いくらいピッタリだったのだ。

2人の十八番は、「おぼろ月夜」。
「♪ 菜の花畑に 入り日薄れ 見渡す山の端 かすみ深し・・・」てやつだ。ここまでは、各パート一緒に主旋律を歌う。続きの、
「♪ 春風そよ吹く 空を見れば・・・」のところから、アルトを妹が歌う。

一緒にいると、どちらからともなく歌い出して、アルトパートはたまに入れ替わる。それがまた、スムーズなのだ。きょうだいって、面白い。


また、思い出すのは、夏の花火。
これまた小学生の頃の記憶だけれど、2人で自宅前の道路で手持ち花火で遊ぶことがよくあった。
終わった手持ち花火やマッチの燃えさしを井桁に組んで火をつけて、小さなキャンプファイアーをするのだ。火の上で両手を繋いで、しゃがんだまま、マイムマイムを歌いながら火の周りを小さく回る。それが面白くて、火が消えるまで回り続けたものだ。

僕が中学に上がり思春期を迎えると、妹とは何となく以前の仲の良さはなくなっていった。妹2人が一緒にいるようになり、僕はたいていひとりで過ごすようになった。まあ、そんなものだろうけど。

子どもの頃のことは、お互いそれほど話すこともなく妹は旅立ってしまったのだけれど、僕の心の中には鮮明に残っている。きっと妹も、そうだったろう。


妹は賢かったから、司法書士のような仕事を管理職としてこなしていたらしい。不動産についての知識も豊富だったようだ。仕事の話はあまりしなかったけれど、僕は不動産系の出版社にいたこともあってそれなりに知識もあるから、話したら面白かったかもしれないなと、今さらながらに思う。


亡くなる少し前、妹は、明らかに死を待っているのがよくわかった。「頭がぼーっとして、本も読めないし、映画もテレビも集中できないから、時間がなかなか経たなくてつらい」と言っていた。

雑誌なら眺められるだろうと、「じゃらん」の温泉特集や、きれいな風景の載っている旅雑誌を買って届けた。「じゃらん」を見た妹は、「私はもう行かれないけどね・・・」とポツンと言った。「もう(死ぬから)行かれない」という意味なのは明らかだった。

『暖かくなったら、一緒に行こうよ』という言葉が出かかったけど、飲み込んだ。(もうすぐ死ぬから、その日は来ない)とお互いわかっているのに、気休めを言うのは不誠実だ。それでも、1ミリの奇跡を信じる気持ちで、言ってもよかったのではないかと今では思う。

正解はない。というか、妹にとっての正解は、あれで良かったのかもしれない。きっと、僕に気休めの言葉など望んでいなかったはずだから。

痩せ細り髪は抜け、少し生えている髪も真っ白で、完全におばあちゃんになってしまっていた妹。40代で女性としてまだまだ魅力的でいられる年齢だったのに。

がん治療って、いったい何なんだろうね。

もっと早く寄り添ってあげればよかった。もっと早く・・・もっと早く何らかの介入をしてあげたら、少なくとも、死を待つ苦しみを軽減させてあげられたかもしれなかったのに。

そう思いながらも、妹は妹の人生を、妹の望み通りに全うしたのだということは理解している。

信頼する医師から取り寄せたあるもので、妹の寿命は約半年は延びた。迎えられないと言われた正月を迎え、家族で初詣にも行かれたそうだ。迫り来る別れの時を微かに予感しつつ、僕は義弟から送られてきた幸せそうな家族写真を眺めた。ほんの少しだけ、妹の寿命を延ばすことに貢献できたかもしれなかったことは、ほんの少しだけ僕の心を慰めてくれた。


もちろん、妹は、妹の人生を選んで生まれてきた。死ぬことも、その時期も決めてきたのだと思う。最後の半年は、僕への思いやりかもしれない。それすらも織り込み済みで、妹はこの世に生まれ、生を全うしたのだ。

鬼籍に入った妹を、敬意をもって思い出す。
妹がずいぶん早く逝ってしまったことは、寂しいけれども、想像していたほどの痛みを伴いはしなかった。

なぜなら、肉体の死は、肉体の死、それだけのことだから。あらゆる生命の営みの流れの中にあるものに過ぎないから。波が寄せて返すように、自然なことだから。

妹は光に還り、歓喜の中にいると感じるから。

ただ、少しだけ。生前に伝えられなかった言葉があることを、ほんの少しだけ後悔している。

「愛しているよ。」
「大事な妹だよ。」
「幸せを願っているよ。」

生まれてきてくれてありがとう。
僕の妹として来てくれてありがとう。

そう伝えられなかったことは、残念だった。亡くなることはわかっていたのに。時間もあったのに。肝心な言葉をプレゼントできなかった。

願わくは同じ後悔をすることのないように、愛する人にはいつでも愛を示そう。照れくさくて伝えづらい関係の相手にこそ、思いきって伝えようと思う。

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