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23歳、Nature誌に投稿(1)
普段大学院で機械学習の研究をしている私が、自然科学・アート・コンピュータグラフィクス等を紹介しながら、ゆるく研究していくというKakugariログ。
今回は、私が初めて学術雑誌に研究を投稿した話をする。
今後このnoteでは多方向へ不平不満をたれることが想定されるため、いろいろボカして話させて頂く。(特定やめてね!)
ちなみに、タイトルは若干詐欺で、実際に投稿したのは「Nature Geoscience」や「Nature Communication」といったNature出版の専門誌である。それでもこれらのIF(インパクトファクター)も非常に高いので、許容頂きたい。
現在エディター審査を突破し、レビュワー審査中。この先に待ち構えるレビューとの格闘も赤裸々に(少々ボカしつつ)綴れればと思う。
そして、この記事はこんな方々に読んで頂きたい。
研究をジャーナルに投稿しようと考えている意識高い系学生
自身の研究の意義が分からずもがいている学生
上記学生像に該当しない全ての脊椎動物たち
投稿までの道のり
学部4年生
イキがった青年は「俺ッチ、Natureに投稿する!」と豪語。
証拠があった。
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これは2年ぶりに開いたhabiticaという習慣化ゲーム(?)のスクリーンショットである。
定着させたいルーティンを申告し、達成できたらゲーム内報酬がもらえるという趣旨のゲームなのだが、画面左下を見て頂きたい。
習慣の欄に、「Natureに掲載される」とある。
凄まじい習慣である。こいつは習慣の意味を理解しているのだろうか。
お風呂、歯磨き、Nature掲載の毎日ルーティンができれば誰も困らない。
そんな具合で意気込んでいた卒論だったが、実際に出来上がったものはまぁカスだった。
先輩がやれば1週間で終わる作業を、一年かけて進める
先輩の論文の表現を若干換えて卒論とする
そうしたカスルートを経て作成された論文は、当然カスだった。
そして卒論発表では波紋を呼ぶことに。
指導教官との激しい衝突、副査教授との一悶着、そして質疑応答での一触即発の緊張感が支配する異様な雰囲気……。これらのエピソードはまた別の機会にお話する。
ともかく、学部時代の私は研究とは名ばかりの行動を繰り返していただけだった。
ただ、この記事では散々私の卒論のことを「カス」と罵倒してきたが、耳が痛くなる理系の方も多いのではないだろうか。
私の周りにも、その類型に属する人は割といるので勝手にそう思っているだけだが。
大学院1年生
学部の研究を続けると病みそうだったので、指導教官にテーマ変更を直訴する。
そこでようやく、「なぜ卒論はカスだったのか?」「どんな研究ならやりがいを感じられるのか?」「何をしたら学術的な貢献があるのか?」といったことを考え始めた。
考え抜いた末に見えてきたのは、「研究にはスタイルがある」ということ。私はこれを、以下の2つの型に分類した。
Youtuber型と映画監督型だ。
ちょっと書くの疲れたので、この二つの型について、そして現在挑んでいるNature誌での戦いについては次回以降に。