人生について考える
一般的に、人間の生に対する見解、観点、立場、態度を人生観という。人間の生とは何かに対する問いは、どのような人生を送ることが幸せであるのかと言う答えに連動する。したがって、どのような人生観を確立するのかは、人生を左右する非常に重要な問題なのだ。
しかしながら昨今の状況は、人生観を確立することが容易い状況ではない。何が正しいのかを見出すことが非常に困難なのだ。街からは歌が消え、声が消えた。スマホが人間生活自体を根底から変えた。人々は、人とのつながりをスマホを媒介させてしか感じることができない。本来的に繋がりがなくては生きていけない人々が、断絶された状態に置いて、スマホを媒介して世の中と繋がる。現実世界が認識できず、スマホの中、いわゆる仮想世界が現実世界へと転化する。
このような状況を喜ぶのはまさに一部の支配者。仮想世界を現実世界と捉えて、ただただ生きている人々であれば、いくらでも操ることができる。資本主義は科学の力をかりて人間性の喪失へと突き進んでいる。このような状況において、正しい人生観を確立することは至難といっても過言ではない。
では、このような中で、正しく人生観を確立するためにはどうすればよいのか。ポイントは以下の三点である。
第一に、人間の生が有限であるという事実をしっかりと認識することだ。人間の生は一回。また次があれば好き勝手に生きることも可能だ。しかし、そうではない。一回しかないから人生は尊い。その一回を自身の快楽だけのために生きるのか、社会や集団のために生きるのか、そのあたりを深く考慮すべきであろう。
第二に、何が正しいのかについての基準は、自身に内在しているのではなく、社会的に規定されているということを自覚することだ。共感はまさに人間が社会的存在であるという証だ。正しい生き方は、普遍的に存在するし、その基準は社会・集団にあるのだ。この真理に対する自覚こそが正しい人生観確立の鍵となる。
第三に、自身についての深い把握である。人間は社会的存在であると同時に歴史的存在である。歴史的文脈の中で自身の生き方や志向性が決定される。何者にも縛られない、なんの負荷もかかることのないまっさらな個人などありえない。自身が属する社会集団との関係を考慮することなしに、正しい人生観を確立することは不可能である。
以上、正しい人生観確立のための三つのポイントを述べたが、より簡潔にまとめると、社会・歴史的存在である人間が、生の有限性に基づいて、どのような人生を歩むのか、その答えがまさに人生観であるといえよう。このような問いに、私は以下のような答えたい。
第一に、善よりも正が優先されるべき。正しい生き方と善い生き方は違う。生の有限性は正の普遍性を導く。
第二に、正と善は、弁証法的統一を成す。善き生が正しい生へと転化すること。このような理解が大切であると私は考える。
本文を読んでいるのはおそらく青年たちであろう。
人生観の確立が今後の人生を左右すること必然。恐れずに正しい道を歩んでほしい。そのための第一歩がまさに、自身の存在を社会・歴史的関連性において捉えることにある。
普遍的真理を自身の内在的基準に据えた青年たちによって、歴史は発展し、人類は新たな未来へと進むのだ。歴史の主体としての自覚がまさに人生観確立の前提条件であることを今一度噛みしめている今日この頃である。
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