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明け方の加茂川から @米子(よなご)

トップの写真、何?なのですが、後ほど。

🚶🚶🚶

米子市内をまちあるきをしてて、立ち寄った喫茶店のマスターさんから、

「何度も来たら、見る所ないでしょ?」
 (もちろん謙遜でだと思います😄)

と言われましたが、私にとってはまだまだ歩きたいところ、見たいところはあって、また近いうちにも行こうと思ってます😄

普段、朝弱いのですが、今回の米子旅でもまたまた早起きして加茂川沿いを歩いてみました。

なぜか来てしまった加茂川の果て
向こうは中海

不思議な?終わり方になってたので、加茂川の果てに実際に来てみました。

何かあるわけでもないのですが…

この加茂川巡りをしたあと、日野川の河口にも行ったのですが、なぜか今回は無性に川の果てを見たかった。

・・・ちょっと脱線。これが日野川河口👇
右側が日野川。左側が日本海でいいのかな?

砂が川をせき止めてて
(砂のくちばしで、砂嘴というらしい)
数メートルの幅だけで日本海へ流れてた!


加茂川に戻って・・・

正面は京橋。右側は後藤家住宅。
眩しくてよく見えないですが…

この京橋という名前も、加茂川という名前も、京都由来とのことと伺いました。

今回、観光所の方とお話させて頂きましたが、米子城の城下町が出来て約400年のまちなかの歴史をもっと知りたくなりました。

天神橋からしろやまを臨む
子どもの頃の地蔵祭りの賑やかさを思いだしながら、いつも立ち寄ります。
瑜伽堂橋の1つ川上の土橋のお地蔵さん

こんなにお地蔵さんがまちなかにたくさんあるとこは、なかなかないし(知らないだけ?)、
名札がついた小路(しょうじと読む)にそれぞれいわれがあるのも、また深く知りたくなりました。

まちなかにはこんな小路の説明名札がたくさんあります。

今は小さな裏道でも由来のある路だったりして、見つけるだけでまちあるきが楽しくなりました。

🚶🚶🚶

旭橋付近。
レストランやカフェがありますが、
早朝につき、断念💧
少し河口側に戻って、加茂川橋

川下り出来たり、こうして川沿いをフラフラと歩けたりしていますが、江戸時代はこの加茂川を隔てて、武士と町人の住居が分かれてたとのこと。
おそらくこの小さな川でも悲しい歴史もたくさんあったのだと思います。

今生きてることに改めて感謝です😄

〜おまけ(明け方ではない)〜
瑜伽堂小路からの、瑜伽堂橋
(ほんどおりの北側あたりです)

瑜伽堂橋(ゆうがどうばし)
名前と橋のイメージがぴったり
(あくまで個人の感想)
瑜伽堂橋の上から
瑜伽堂橋の北側に瑜伽堂があります。
夜の咲い地蔵様

日野川河口の砂嘴
もう少し全体を写したもの👇
右側の日野川と左側の日本海の間が砂でせき止められています。

右手奥は大山。何気に素敵な景色でした。

まちあるきたべあるきの話は・・・

日野川河口に行ったのち、軽い気持ちの先に過酷な旅が・・・

加茂川の川下り

前回の明け方の加茂川は・・・



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