日本の劣化と森のようちえん(その1)
宮台真司が森のようちえんを語ってくれるなんて!
宮台真司と言えば、社会学、とりわけ日本社会の劣化と性愛に明るい。
森のようちえんと性愛なんて、なんだかすごく遠いところにあるようだけれど、しっかりとつながっていて、本当おもしろい。
今回は教育ジャーナリストで「ルポ 森のようちえん SDGs時代の子育てスタイル」著者のおおたとしまささんとの対談。冒頭から「個体発生は系統発生をくり返す」と言っていて。つまりは胎児がお腹のなかで生命の進化をなぞるように成長していく、軟骨魚類→爬虫類→哺乳類という数億年におよぶ生命の記憶のことで。思い出すのは、おむつなし育児をしていた時に読み漁ってた本の中で出会った三木茂夫の「内臓感受性」というキーワードである。赤ちゃんとのコミュニケーション、とりわけ排泄に関しては快/不快といった内臓感受性そのもので、ここから私の森のようちえん立ち上げにつながったのだから感慨深い。
宮台真司のクソの概念
宮台真司はどんなテーマでも一貫して2つの概念をもとに話す。いろんな言い方ができるけども、ここは押さえておかなきゃいけない。
法の外側⇔法の内側
社会システムの外側⇔社会システムの内側
祭り⇔日常
ハレ⇔ケ
フュージョン(融合)⇔コントロール(支配)
性愛⇔結婚制度
ピュシス(自然・万物)⇔ロゴス(言葉)
のような感じ。
国民国家には虚構(法と言葉と損得)は必要だが、それに支配されてはいけない。【法と言葉と損得の奴隷=クソ】である。
本来、人が生きていく為の本質がまずあって、それを集団として成り立たせる為のツールとして法とか制度とかがある、という理解。
今のコロナ過をみるとその本質がいかにこんがらがっているのかがよく分かる。イタリアのジョルジョア・アガンベンが言った「意味ある生」「尊厳ある生」という言葉を嚙み締めちゃう。
里山とは何か?
おおたさんの里山の捉えがおもしろい。
ピュシス=森
ロゴス=里
とすると、里山はその間の緩衝材である、と言う。
里山で遊ぶ子どもたちはそのピュシスとロゴスの間を行ったり来たりたゆたう。森のようちえんにはそれができるのだと。
紹介されていた汐見先生の言葉もまさに。
「子どもに内なる自然と外なる自然を共鳴させる、それを大人が見守り共感する。それこそが森のようちえんの本質である。」
しびれますね!
おおたさんは内なる自然を「出産、排泄、死への実感、性愛、感情」と表現されていて、他方でロゴスの産物として「基本的人権、学校、資本主義、民主主義、インターネット、メタバース」を挙げられていた。なるほど。ロゴスも使いようである。どっちも必要。ただし、本質を勘違いしなければ、だ。
日本の劣化と森のようちえん(その2)に続く
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