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自分で未来を選び取る力
わたし、メンタリストDaiGoすきなんです。テレビを辞めて、始めたYouTube。本や論文からの知識をワイン飲みながら語るというチャンネルなんだけど、ビジネス、育児、教育、健康...etc. 幅広いジャンルを語りまくるというもの。
本が好き!というパッション(膨大な本が並ぶ本棚に囲まれて動画配信してる)と、探求心と行動を通して人生を切り拓いてきたその生き様がとっても気持ち良い。引きこもって本とワインとネコとの暮らしとかも、うらやまし。(わたしも多分そっち系の体質のような気がするんだけど、現実は真逆という!笑)
で、たまたま「嫌われる雑談ネタ、好かれる雑談ネタの違いとは」というテーマのを聴いていて(←なんでこれ選んだんだろう…)、最後の方に展開された「自分で未来を選び取る力」の話にすごい感動してしまった!
だってこれ、星田妙見宮の妙見信仰と同じこと言ってるー!!
2年前、いしころえんで交野市の星降り伝説の絵本『ほしふるまちのものがたり』をつくった。
https://ishikoroen.base.shop/
その時に、星田妙見宮の佐々木宮司のお話と、宮司がまとめた「空海と妙見信仰」を参考に、絵本の巻末に綴った妙見信仰の本願~すべての調和~。自分なりにかみ砕いて短い文章にして、今もその時の感動が胸に残っているんだけど、まさかこんなところで再会できるなんて(泣)
こういう全然ちがう、しかも遠いところに居る人が同じこと言ってる!に気づくとめちゃくちゃ興奮してしまう。(ホリエモンと心屋とか、科学と陰陽五行哲学とか、この話はまた別の機会に…)
それこそ真理に限りなく近いんじゃないかと感じたりして。
以下、書き起こしメモ。(完全じゃないです悪しからず)
結局人間って自分にとって都合の良い情報しか見ない。科学とか論文が100%正しいとは思ってないんですよ。そもそも時代や個人の考え方や人生はまったく違うわけ。覆るものはたくさんある。何が正しいことは言えない。
何かが絶対的に正しいと思っている時点で間違っている。自分にとっての正しさを追求すればいいわけですよ。
物事をたくさんの視点から見ることが出来ると、
誰の意見にも流されないで自分独自の道を見つけることが出来るんですよ。複数の視点を持つことが、自分だけの意見を持つことが出来る唯一の方法です。
何か1個の意見だけを持ったりとか、
みんなが言ってることを否定することは単なる逆バリです。短絡的な思考であって本質が見えないんですよ。
複数の視点から、賛成の視点からも反対の視点からも中立の視点からも見て初めて独自の視点が持てるわけですよ。これが、これからの変化の激しい世界を生き抜く唯一の方法なんです。
常に全ての意見が一理あるだけ、
何かが正しいわけではないんですよ。
それを知って理解して、たくさんの本を読んだり、論文を読んだりして相反する意見も言っていくわけですよ。
どっちが正しいんですか?とか言われるんですけど、どっちが正しいとかないですよ。
人間が所詮、みつけた科学なんで。
ただ、正しさがあるとしたら
どっちの意見もある程度あり得ると思って
両方の意見を持っている人間だけが
究極の正しさまで辿り着けるんですよ。
まったく正しいことにはならないですよ?
ただ正しさに極限まで近づくということは
多くの意見を持っている人だけが出来る芸当なんです。
昔はね、科学は正しいんだ、これだけが絶対なんだ、この意見だけが絶対正しいって信じたかった。そうすると自分の心が安定するんで。
でもそれは自分の心が不安定だから、
自分の心の外に、自分以外の意見に対して、
絶対的な信頼を置くことによって
ある意味盲目にしてですね、問題と向き合うことを止めて、心の安定を求めるという愚かな行為になってしまうので、そうしない為にも、複数の意見を持つ必要があります。
自分で複数の視点の中から1個を決められる力
自分で未来を選び取る力です、これが。
コロナ、ワクチン、アトピー、不登校…etc、身の回りにある様々な問題(のように見える事象)も、そこで苦しみが増幅し続けているのであれば、問題はその事象自体じゃなくて向き合い方なのではないのかな?
今後世界はますます複雑さが増すように見えるでしょう。
だからこそ「多角的に物を見て、そこから自分で選び取る力」って、本当に大事だよねと思ってる。
DaiGoは論理的思考を磨けと言ってたけど、大人になってから本で学ぶよりも、子どもの頃から、人生の本番のなかで触れていけたら一番良いと思う。世の中にはいろんな考えがあって、私たちは選択できるという事。そして相反する意見を持つ人もまたそうなのだという事。まずは私たち大人がその背中を見せることだよね。