カメラの仕事
先日、カメラのお仕事をいただけた。とてもありがたい話だ。
だが、それと同時に自分の力量の足りなさをひしひしと実感したことも事実。
言ってしまえば、当たって砕けろ・進みながら考える精神でやってきた僕だが、プロ意識という言葉を考えると、それで良いのだろうかという不安がまとわりつく。
やるしかない。ということは重々と理解しているつもりだが、あまりにもわからないことが多すぎる。泳ぎ方を教わらずに、大海へ放り出された気分だ。
また、ライターの仕事では、どうてしてもビジョンを描くことができなくて、とある取材をパスした。それがとても悔しくて、このnoteを書いている。
先生や師匠がほしい。そのような考えは、教えを乞いたいという気持ち以外に、どこかに責任を転嫁したいという想いがあるのだろうか。いずれにせよ、一人でやっていくことに少し寂しさを感じた夜である。
23歳になった僕。一年前はライターとしての仕事がなくて、これからだ!と意気込んでいたことを考えると、この進歩を評価してあげたい気持ちもある。だけど、どこかでは進みの遅さに消化不良を感じている。
ただ、いくら考えても、いくらクヨクヨしても、結局はやるしかないという事実がぼくを支えてくれる。結論が一つなのは、悩みを抱える人間にとっては救いだ。まだまだ、悩むことさえ生意気なレベル。そう思って、この歳も走っていきたい。