今日も発見の連続:終末論
Wikipediaからの引用
聖書では、「飲みかつ食べよう、明日には死ぬのだから」という語句が、旧約聖書の『イザヤ書』22章13節および新約聖書の『コリント人への第一の手紙』15章32節に登場している。ただしどちらも否定的な文脈の中にある。前者は、信仰なき者の生活の描写である。後者では、もしキリストの復活がなければ死者の復活もなく、死者の復活もないのであれば人は死んでしまう前に欲に任せた生活をして悪事におぼれるだろう、という仮定を語っている。
後者の解説だが
それは違う
この仮説はニヒリズムに陥った人が
悪事に溺れると書いているが
終末に何が起きるかといえば
その多くが自殺である
自暴自棄になった人達がテロを起こすので
一部正しいが
(申し訳ない、投稿後自分の間違いに気が付きました。自殺するのは日本人の国民性でした)
やはりキリスト教は
完全な内向きの精神で完結していて
他者の精神について完全に否定している
元々 キリスト教徒が救われて
他の人達は救われないとした教義と一致する
私が宣言したいのは
貴方に価値がないのなら
貴方が幸福を覚える他者の幸福を追求する事だ
そうしないと自身に
価値がない事の反論にはならない為だ
欲に任せた生活って何だ
愛する人以上に大切な命があるのか
自分の命をかけられる存在を持った時
初めて ニヒリズム から離脱出来るのだ
つまり 自分の命と
愛する人の命はどちらが大事なのか?
愛する人の命の方が大事なら
愛する人が嫌がる事は絶対にしない
そして相手が自分の愛する人に
絶対にならないという保証はない
今憎しみを持っていても
次の瞬間には自分より尊い存在に感じ
コイツの身代わりに死んでやってもいいかと
思えるかもしれない
つまり自分以外に対して常に 愛 を
持って接する事になる
旧約聖書の『イザヤ書』の方は正しい
他人にも自分にも愛を持たない人は
簡単に人を殺す奪う犯す
だが 新約聖書の『コリント人への第一の手紙』15章32節 を書いた奴出てこい
お前は何も分かってない
って 書いたの パウロ か、、、
やっぱり、、、