己の思いにしたがって生きる
私が司法書士だったときの話だ。
ある日不動産会社から連絡が入り、急遽面談をすることになった。
土地の売主がいるのだが、権利証が見当たらないそうだ。その場合、権利証に代えて本人確認情報というものを作成しなければならない。そのための面談だ。
急いで準備をしてその不動産会社に行くと、その売主の姿はまだなかった。
売主が現れるまでの間に不動産会社の担当者に売主について簡単に聞いておくことにした。どうやらいくつも土地を所有している地主らしく、しかも気難しい人らしい…。
しばらくすると色付きのサングラスをかけた年配の男性が現れた。
そして、私達が座っているテーブルと反対側のテーブルにゆっくり腰掛けた。
この時点で、私はこの面談があまりスムーズにはいかないことを覚悟した。
不動産会社の担当者によると、この売主は、土地を売りたいとは思っているが、買主仲介指定の司法書士事務所(つまり私が所属している事務所)を使わなければならないなどといった制約が気に入らないらしい。
また、いつも依頼している司法書士なら、わざわざ書類を用意したりなど面倒なこともないし、費用もかからないので、面談も必要で費用もかかる今回の面談自体がもうすでに気に入らないのだ。
しかも、(気にされているかはわからないが、)私は突然呼び出されているためジャケットの用意もなく、かなりラフな格好で会ってしまっていた。司法書士かどうかも微妙な人間に見えていただろう。(普段は面談や決済の予定がなくてもスーツを着ているのだが、その日は暑かったし、曜日的に面談みたいな用事は絶対発生しない!という自信があったのだ)
そんな諸々の事情があり、やはり面談中の雰囲気はあまり良いものではなかった。
とはいうものの、ちゃんと質問には答えたり、必要な書類の提示はしてもらえた。
売主にへそを曲げられると取引に影響するので、最大限気を遣いつつの面談を終え、いつも以上に丁寧に挨拶して帰ろうとすると、売主が
「もし、他にも書類が必要とか、不足があって困ったこととかあったら、ちゃんと言うんだよ」
と先ほどまでとはうってかわって穏やかな声がけをしてくれた。
あぁ、この人は別に嫌な人ではないんだな。
ただ、自分の主張をちゃんとしておきたい人なんだなとそのときはじめて理解できた。
多くの人は自分をいい人に見せたいし、いい人だと思われたい…のではないかと私は考えている。私もそうだ。
だから、時に、自分が主張したいことも満足に言えなかったり、自分が大切にしていることを脇に置いてしまうようなこともあるだろう。
確かに、いい人だと思われたほうが、いろいろ都合がよかったりすることもある。
しかしながら、いい人だと思われることはそんなに大事なことだろうか?
例え、いい人だと思われなくても、自分が大切に思っていることをするためならば、また、自分が伝えなければならない主張をするためならば、その「いい人だと思われること」こそ脇に置かなければならない。
人生のリミット(健康に生きられるという意味でだ)が迫っているならなおさら、その優先順位を間違えてはいけない。
言うべきことは、言おう。
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