適材適所における「人」の役割
適材適所が実現される1つの形において、適材適所を実現するために必要な3つの要素が「人」「所」「環境整備」であることを述べ、それぞれについて簡単な定義づけをしてみた。
ここからは、そのうちの「人」について書いていく。
「適材適所」における「人」の役割
「適材適所」における「人」の役割を私は、
各人が自分で考えることによって自分自身を把握し、「自分はどうしたいか?自分がどんなことができるか?自分はどういうものか?」を見きわめる。自分を見きわめることを前提として、自身にふさわしい「所」を求める。
とまとめた。
辞書的な、よく言われる「適材適所」においては、ある立場の人が、ある役割に、そこにふさわしい(得意であったり、適切にこなせる)人をあてこむ、あるいは、人をその人が活躍できそうな役割にあてこむといった状況を作り出す。
ただ、その「ある立場」に立てる人はそんなに多くいるだろうか?自分自身を把握するだけでも大変なのである。他人がどういう性質かを把握することはもっと難儀だろう。そんな能力を持った人はごろごろいるものではない。そんなごく少数の、ある種神がかった人の登場を待っているだけでは、適材適所はごくわずかな範囲でしかおこなわれないことになる。
それよりも、一人一人が自分自身を把握して、自身がどのような「材」であるかを決めた方が、適材適所が広く実現するためにはよほど効率が良い。だからこそ、各「人」の役割が非常に重要なのである。
自分で考えることで自分自身を把握する
各人が自身を把握するということで、自分はどうしたいか?自分がどんなことができるか?自分はどういうもの(どういう性質)か?を見きわめていくわけだが、その際に、一番重要なことは、「自分で」考えることである。
勿論、考えるにあたって人の助けや何らかのツールの力を借りることはよいが、人の意見や世の中のデータについては参考にするのみであって、人がこういうからこうなんだではなく、自分自身の感覚を大切にするのである。(もちろん人の意見がそのまま自身の感覚にしっくりくるならばそのまま受け入れてもいいだろう。)
自分自身を把握することの重要性
松下幸之助さんの『繁栄のための考え方』という本に次のようなことが書かれている。
自分の力がどのようであるかを考えて判定することは、自分一人のためだけというわけではなく、社会に対する義務ですらあるというのだ。
人には得手不得手があり、1つのことをとってみても、いともたやすくできる人もいれば、どんなに努力しても出来ないということがある。しかしながら、
同じく努力するならば、自身が向いていることについて努力する方がはるかに効率よく結果を出すこともできるし、それが社会への貢献にもつながるだろう。
また自分がやりたいと思うことというのは継続的な努力を可能とするので、たとえそれが不得意なことであったとしても、思いが強ければ一定の結果を出せるだろう。
さらに、自分がどのような性質(性格、考え方、好き嫌いなど)であるかを知ることは、努力の仕方に影響してくる。自分の性質を知っていれば、何かの努力をするとき、何かを為そうとするとき、どのような方法を用いるのが良いかを導きやすくなるだろう。
だからこそ自分自身を把握することは、自分のことのみならず社会にとっても重要なことであるといえる。
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