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カステラ1番 陪審員2番 2024/12/30

日記

・椅子、買いに行けず……。昼過ぎまで寝ていて、誘うと思っていた友人に声をかけられなかったのでやめてしまった。今日も座面の高さが合わない椅子に座って、背骨を丸くしている。

・仕方がないので明日買いに行く。大晦日だけど椅子を買う。壊れた椅子のまま年を越すわけにはいかないという縁起的な問題もあるし、明日を逃すとお店が正月休みに入ってしまいそうという現実的な問題もある。絶対に買う。大晦日に椅子を買う予定だけが入っているのはなんとも不思議だけど、もう決めた。



・クリントン・イーストウッドの最新作『陪審員2番』を観た。

・妊娠を控えた妻と幸せに暮らすジャスティン。恋人を橋から突き落として殺害した罪に問われた男の裁判で陪審員に選ばれた彼は、事件当夜、雨の中を車で運転していて何かを轢いた感触があったことを思い出す。鹿を轢いたのだと信じようとした彼だったが、裁判が進み被告人に不利な事実が明らかになっていく中で、ジャスティンは家族の未来と罪の意識との間で苦悩するようになり……というおはなし。

・陪審員裁判の話ということで『12人の怒れる男たち』を想起するのだけど、そこに主人公が事件の真相を知っていて、しかもその犯人であるという圧倒的な当事者視点が加わることで、心が休まる瞬間のない、とてつもない緊張感のサスペンスになっている。タチが悪いのが、主人公には良心があり、無実の罪を他人に背負わせる勇気のない「普通の人」であるという点で、そのために真実を隠しつつ、裁判では被告人を無罪とする方向へ話を運ばなければならない。

・そして、主人公のドラマに加えて、犯人が別にいると気づきながらも検事長選挙に立候補しているがために、被告人を自らのキャリアの生贄とするか、真実を明らかにするかで葛藤する検察サイドのドラマまであるのがすごい。二つの視点から、正義と罪との間で揺れ動く人間の姿を見せつける。

・どちらも結局は保身のための行動なのだけど、家族や地域の未来など、他人に終身刑の罪を被せても許されると自己暗示をかけるための、順当らしい理屈を捏ね上げてしまうのが恐ろしい。ただ、自分を悪人だと言い切ることのできない弱さは誰しもが持っているもので、観ている方にも心当たりがあるから胸が苦しくなる。悪人であっても、せめて同情される悪人でありたいと願い、その姿を自分自身でも信じたくなってしまう人間の脆さを丁寧に描いている。


・クリントン・イーストウッドは今年94歳らしい。昭和5年生まれの人が完全新作の映画を撮り、しかもそれが大傑作だなんて……。完全に偉人だ。

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