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ファイクラ(ファイ課後クライマックスガールズ) 2022/12/14

日記

・さっっっっむ。

・ふたご座流星群が見られるというから10分ほど外に出てお空を眺めていた。寒すぎ。手がかじかんでキーボードが打てない。

・でも、寒さに耐えた甲斐あって、10分で5つの流れ星を見ることができた。キュインキュイン流れまくっている。冬で空気が澄んでいるし、空も晴れているので、流れた星の尻尾まで目視で確認できるのが嬉しい。

・ただ、周囲を見渡してもわざわざ外に出てまで流れ星見物をしているのが私くらいで寂しい。もっと天体に興味を持った方がいいですよ!!タダだし。

・星が瞬いているのをじっと眺めていると、だんだん空全体がその瞬きに連動して揺れているような錯覚を覚える。風でカーテンが揺れるように、空がこちらに迫ったり離れたりしている。



・いまさら『ファイト・クラブ』を観た。なんとなく内容は知っているけど、観たことはなかった。ラストのネタバレとか、サブリミナルについても知った上で観たので、純然な初見とは言い難いのかもしれない。

・なんか、インターネットみたいな映画だな……と思った。ホモソーシャルとか、(俗に言う)弱者男性とか、資本主義への反抗とか、昨今のインターネットのトレンドが全部盛り込まれている。なんだ? インターネットってファイトクラブだったのか? 劇場版Twitterの趣がある。

・作中の「ファイトクラブ」は、社会で目を向けられてこなかった(と感じている)男性たちが、マッチョイズムみたいなものを軸にして繋がるコミュニティなわけだけど、作品としての『ファイト・クラブ』はそういうホモソーシャル的な文化、ひいては「集団」という構造自体の捻れを批判的に描いているのにビックリした。「『ファイトクラブ』は男の憧れ」と語られているのを目にしたことがあったし、「男が好きな映画」とも言われがちだから、男性礼賛的な映画なんだと勝手に思っていた。

・主人公はエドワード・ノートンとブラピだけど、私は男性性や暴力によって連帯し、自ら進んでモブになることを選ぶファイトクラブの会員たちの方に目がいってしまったな。彼らはあの後どう生きるんだろう。新しい世界になったとしても、彼らはモブであることを選択し続けるような気がしてしまう。

・それはそれとして、サブリミナルで性器を1コマ差し込むのを「ほんの瞬きしてる間だから気づかない」と言い張るのは無理がある。 普通に視認できるぞ!! やめろ!!



・昨日ちょうどワヒロの2章を読み返したばかりだから、ファイト・クラブを観ている間、ずっと北村くんのことが頭の片隅にあった。方向性や戦い方が全く異なるので比較らしい比較はできないけど、「クズのため」という点でなにかこう、細い糸が繋がっている気がしなくもない。救う価値がないと切り捨てられる人に向き合うのは誰?という眼差しが……。

・こういうことを言うと北村くんにすり寄っているようで嫌なんだけど、正直、「クズのために戦う」という理由が、ワヒロのヒーローの戦う理由の中で、一番受け入れやすい主張なんじゃないかと本気で思っている。こんなことを言っていいのかわからないけど……。

・というか、ワヒロの中で「戦う理由」が北村くん以上にわかりやすく描かれているヒーローはいない気がする。北村くんは「わからない」「理解できない」キャラクターとして扱われがちだけど、実際は一番ストレートに思想信条や主張が出ているんじゃないだろうか……。これは北村くんのパーソナリティを軽んじていると思われても仕方ない発言だし、そんな安易に「わかる」と言っちゃいけないんだけど……。でも、こう……「北村倫理、わかんね〜〜」と言っているだけじゃ何も始まらないんじゃないか、という気持ちが強い。北村くんを「わかる」と明言することは、彼の聖域を崩すようでとても怖いけど、どうしようもなく「わかってしまう」部分があると認めないと、先に進めない気がしている。彼の世界を踏み荒らすことも厭わない、ある種の冷徹さとエゴを自覚的に備える必要があるのではないか……。この「わからなさ」を守りたい↔それでも「わかってしまう」ことがある、という葛藤に向き合うことに意味がある気がする……。

・北村くん……。地獄の人々を守るためには、自らも地獄で生き続けなければいけないと高校生にして覚悟しているのが……。オラは……オラは……。

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