大学バレーという経験 その4
私はサッカーJ2ブラウブリッツ秋田でバレーボールクラブの代表兼指導者をしています。
noteには私がバレーボールを通して経験して感じてきたことや子育てで学んだことなどを綴っています。
前回のnoteではキツイ上下関係からバレーを辞めようとした経緯や、そこから恩師から受け取った言葉について触れました。
私の話は35年以上前の昭和の時代のお話です。
現在の大学生たちはそういう雰囲気は全くなく、下級生たちがのびのびとバレーをやる環境になっています。
本当に良い時代になりました。
さて、バレーを辞めることを辞めた(笑)私は、2年生になり、相変わらず2個上の先輩たちには厳しくされながらも、スタメンとしてリーグ戦に出場していました。
当時、1個上の先輩たちとは入学した頃からとても仲が良くさせていただいていていました。
その先輩たちとは特に思い出に残っていることがあります。
3年生以下で出場した東日本インカレ。
とても明るい人が多く、大会前からモチベーションを上げてくれる先輩たち。
合宿でもミーティング中のディスカッションに熱が入り、チームとしての一体感に溢れ、このメンバーで大会に出場することが楽しみで本当にワクワクしていました。
そして結果は第3位という成績を残しました。
私が入学した当時関東2部だったことを考えると本当に嬉しかった!
私たちはやればできるんだということを証明してもらった気がしました。
そして、いつも厳しかった2個上の先輩たちでしたが、実はその中に私がとても尊敬している先輩がいました。
その先輩はチームのエースであり、周りに厳しい分、自分には更に厳しい人でした。
私、ずっとその先輩が怖かったのですが、それ以上にその自分に対する姿勢に憧れていて、いつか認めてもらいたいと思っていました。
その先輩と出場する最後の全日本インカレ、全力でその先輩との試合を心に刻もう、その先輩のために頑張ろうっていう気持ちで挑みました。
何かペアを組むという時も全てその先輩と組もうとする私に、その先輩は少し驚いた顔をしていました。
そして、なんとリーグ戦でも勝ったことがない相手に勝利して第3位に入賞したんです!
本当に嬉しかったですし、自分に少し自信が持てる力となりました。
スポーツって自分自身が楽しむことも大切ですが、誰かのためにという気持ちもエネルギーになるんじゃないかって思っています。
その先輩は引退の時「カコが自分達のために一生懸命になってくれてたこと、ちゃんと伝わっていたよ!」そんな言葉をくれました…(思い出したらまた泣けちゃう…)。
今でもその言葉とあの大会の時の気持ちは私の宝物です。
今こうして毎日バレーボールをしていると、当時先輩たちから厳しくされてきたことや、さまざまなシーンで(良いこともそうでないことも)経験させていただいたこと全てが今の私を作っています。
中学生や高校生の頃のあんなにもしっかり頑張れず、自信がなかった私が、頑張り切る力や少しは自信がついたのですから、あの頃辛いと思っていたことは全て無駄ではなかったんです。
(まぁ、二度と戻りたいとは思いませんけどね笑)
そして、かなり逞しくなった私ですが、3年生になってからは怪我との戦いになりました。
これまでの辛さとは違う意味での苦しい葛藤が始まります。
〈続く〉
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