大学バレーという経験 その5
私はサッカーJ2ブラウブリッツ秋田でバレーボールクラブの代表兼指導者をしています。
noteには私がバレーボールを通して経験して感じてきたことや子育てで学んだことなどを綴っています。
前回までのお話では、大学バレーという当時は厳しかった上下関係の中で、いかにして自分という存在を生き残らせられるか、勝ち残って結果を出していくことの喜びなどを書きました。
そして私は3年生となり、いよいよ上級生という立場になりました。
それまで先輩たちにリードしてもらっていた立場とは変わり、今度はチームをリードして行かなくてはならない立場になりました。
その頃はまだ私はスタメンに入って試合に出ることはできていましたが、同時に膝や腰などに不調を抱える日が増えていきました。
そして、3年生以下で出場する東日本インカレを控えたある日、先生から突然呼ばれました。
そして言われたのは「カコ、お前をキャプテンにするから。」でした。
本当に驚きました。
それって要するに4年生になったら東京女子体育大学バレー部の主将を務めるということです。
全く自分では予想しなかった人事だったので本当に驚きましたし、責任の重さをひしひしと感じました。
私は中学、高校とキャプテンの経験は全くありません。
私のnoteを読んでくださっている方はよくご存知かと思いますが、消極的で人前で話をすることさえまともにできない子どもだった私がです。
それが突然部員が100名もいる関東一部の大学バレー部の主将を任されることになったんです。
自信なんて全くありませんでした。
それでもその時私が決めたことがあります。
まず、辛かった下級生時代の苦悩を下の世代に残したくないということです。
下級生たちにはもっとのびのびとバレーに集中してほしいと思いました。
同期の主務(マネージャー)に最初に伝えたのは「私は下級生にはプレーのことだけ指導するから、生活面や練習全体のことはあなた達から指導してほしい。それからあまりバレーに関係ないことで怒ったりしないで。」
そう伝えましたし、最上級生になって正式に主将になったその日から実行に移しました。
そして、チームとして勝っていくには自分がスタメンになることにこだわらず、下級生達をしっかり指導していこうと心に決めていました。
実はその頃には私の怪我はもっと増えていました。
練習の真っ最中にコートの真ん中で腰を痛めて全く動けなくなった時も何度かありました。
膝を痛めてジャンプどころか普通に歩くことや眠ることすらままならない日もありました。
かつての先輩には、怪我をしていてもスタメンで試合に出続けることにこだわっていた人もいましたが、正直言って私の目からは自己満足にしか見えず、チームとしてはベストなパフォーマンスができないならスタメンから下りるべきでは?と思っていました。
私はそういう選手にはなりたくなかった。
あの頃は私個人のことよりもチーム全体としてということばかりを考えるようになっていました。
ただそういう姿勢は時として先生に理解してもらえないこともありました。
試合に出る気がないならユニフォームを着せられないと、キャプテンなのにユニフォームをもらえない時もありました。
その時は泣きながら「試合に出たくないとかそういうことじゃないんだ!」と猛抗議しましたけど…。
私も心の中のことはあまり言葉で伝えることができていなかったので、おそらく最後まで理解してもらえないだろうって思いました。
それに加えて怪我をしていても練習はリーダーとして進めて行かなくてはならなかったですし、プレーができていなくても部員100名の前で毎日チームとしての目標や振り返りなど、チームをまとめる言葉を話すということをしなくてはなりませんでした。
(今となってはそれが指導者としての土台になっているので、本当にありがたい経験でしたけど。)
そして、チームのバレースタイルは超名門校から来たセッターの速いトスに合わせるバレーに代わっていきました。
この記事にも書いている通り、私はこのバレースタイルに合わせられませんでした。
そして、私抜きで一つ下の学年で出場したチームは、素晴らしいことに東日本インカレで優勝しました。
本当は喜んであげなきゃならなかったんです…なのに正直言って私の心の中はとても複雑でした。
なぜなら、もう自分の存在価値はコートの中にはないんだと思い込んでしまう決定的な出来事だったからです。
そして大学を卒業したらもう二度とバレーには関わるまいと心に決めていました。
卒業式の後先生に言われた言葉があります。
「カコは怪我をしているのにキャプテンという立場だったから本当に大変だったし、辛かったろうね。最後までよくがんばったね。」
…なんか、涙が溢れました。
そうして、もうバレーから離れる決意をして卒業後秋田に戻った私でしたが、なぜかまたバレーに関わることになります。
さて、それはなぜだったんでしょう?
〈続く〉
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