私にとっての高校バレー その2
私はサッカーJ2ブラウブリッツ秋田の傘下にできた育成のためのバレーボールクラブの代表兼指導者をしています。
以前のnoteで高校バレーについて書きました。
あの大逆転負けだけで私の高校バレーが終わったわけではありませんが、秋田県内では必ず決勝までは勝ち進んでいました。
一度、準決勝で名門S高校と対戦した時のこと。
それまでその高校には負けたことがなかったのに、エースである私の不調からか危うく負けそうになっていました。
それまでの私なら自分で考えることができずにそのまま崩れていたと思います。
でも、以前の大逆転負けを経験したことで、私の中で「絶対に負けたくない」という気持ちが芽生えていました。
なんと、相手のブロックの指先にわざとボールを当ててそのままコートサイドのギャラリーに吹っ飛ばしました。
ライトブロッカーが手を引っ込めたら間違いなくアウトになっていたのですが、相手は意地になってさらに手を出してくれました笑
バレーボールプレーヤーとして何かがハジけた瞬間だったと思います。
何年も後にS高校の監督さんから「コートの外に向かってアタック打つ選手初めて見たよ。」と言われました笑
それほどインパクトのあるプレーだったようです。
そういうこともあってか、高校最後には国体メンバーとして招集してもらいました。
それまでライバルだった選手たちと一緒にバレーができるということは、私にとってたくさんの刺激がありましたし、価値観もかなり変わったと思います。
まぁ、それでも相変わらず自信が持ててなかったんですけどね。
国体メンバーとして練習を積んでいる時、東京女子体育大学に進学しないかと推薦していただきました。
正直なところ大学バレーってどんなところなのかさっぱりわかりませんでしたし、他にも他大学や実業団への話もありましたが、そこにはバレーをやらないという選択肢は準備されていませんでした。
そうです。高校を決めた時のようにこの時も私の意思は尊重されず、大人たちに運命を委ねることとなりました。
結果的にそれは今となっては良かったのですが…。
私にとっては相当なイバラの道に向かうことになります。
それはまた大学バレー編で。
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