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【安心したい】〈大丈夫〉を心から感じられるようになるために

〈スキ〉


自分の書いたものに、〈スキ〉をもらうのは、とても嬉しいですね。

「あなたの書いた記事、〈スキ〉だよ」
そう言ってもらえてるようで、なんだかほっこりするし、自信が湧いてきます。


〈自分が誰かに好かれている〉という感覚

これは、そもそも嬉しい。
【安心】を感じますね。ホッとする。

思い返せば、

産まれてきて良かったんだろうか。
私はここにいていいんだろうか。
誰かに求められているんだろうか。

そんなことを、まだ言葉を知らない小さな頃から感じていたように思うんです。


あ、別に「かわいそうな子ども時代だった」なんてことを言いたいわけではないんですよ。

分析・考察好きの私ですが、全てのことを論理的・科学的に証明できるわけはなくて。

例えば、過去生・カルマ・魂とか。

説明のつかない〈ナニカ〉ってやつは、間違いなくある。


私が…言ってみれば、いつも、なんとなく、

不安や寂しさを感じていたこと
安心感に飢えていたこと

この感覚は、今回の〈人生のテーマ〉みたいなところがあるのかもな、と漠然と感じているんです。
過去生から持ち越してきたのかもな、みたいなぼんやりとした感覚、ですね。

だから、
(私は安心感を求めているんだなぁ)
と、いろいろなできごとを通して、よく感じます。


HSS型HSPにとって、【安心】ってすごくたいせつな要素


なぜなら、不安になりやすいから。

考えすぎて不安になる。
ミスして自信を失う。
人の目が気になりすぎる。
人に合わせているうちに、自分がわからなくなる。

複雑な特性が、過度に不安を強め、安心感を奪っていく。

だからこそ、HSS型HSPにとって〈安心できる〉っていうことは、より必要不可欠なんだと思います。


だけど、自分を見失いがちな私たちにとって、ここが難しいところ。

〈好かれたい〉が度を越して、誰かに好かれる〈ための〉人生になってしまう。
安心して生きていきたいがために、人にすり寄りすぎて、他者ありき・他人ベースの人生になってしまう。


人からもらった【安心】から、自分から生まれた【安心】へ


誰かに好意を向けられるのは、ありがたいことです。
嫌われたい人なんて、おそらくいない。
どっちかって言えば、好かれた方がいいに決まってます。


だけど、なにごとも「過ぎない」ことですね。

私自身、周りにしょっちゅう、
「○○していい?」
「△△で大丈夫かな?」
と確認して、許可をもらってから行動していました。

誰かが「いい」と言っていたから、大丈夫。

精神的に不安定だった時もあるので、この「大丈夫」が私には必要だったんです。
なかったら、動けなかった。
私の背中を押してくれる言葉だったんです。

でもね。
もらった「大丈夫」が【安心】を生んだわけではないんです。

「大丈夫」をもらって、「動いた」から、【安心】を感じられたんです。

人の「大丈夫」は、すぐに消える。
その時だけのものだから。
動いてナニカをして、自分の「大丈夫」にしていくんです。

著作者:Freepik



自分から湧き出る【安心】は強い

この〈私〉を好きになってくれる人がいる。
私はこれでいいんだ。
ここにいてもいいんだ。
大丈夫。


人は1人では生きていけない。

だからこそ。

もらった〈スキ〉〈大丈夫〉を自分の中に積み重ねていくこと。
それを力に、小さな小さな自分だけのアクションを起こしてみること。

それが、いつしか、自分だけの〈大丈夫〉に変わっていくと思います。


そしていつか、自分もまた、誰かに〈スキ〉〈大丈夫〉を伝えていける人になりたいと、思ったりしています。

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