生きるのが面倒なんてもう言わない~致死性骨異形成症の天使息子のプレゼント~
日本人は勝手だ。普段そんな信仰心がないくせに、困った時だけ神頼み。しかも神道なのか仏教なのか、八百万の神誰にでも手当り次第お願いする。
私の依頼先は「神様仏様逞磨様」
・・私には専属の守神がいる。と聞くとちょっと怪しいが、私は私を、私たち家族を天国から見守り応援してくれている小さな男の子がいるということを勝手に強く信じている。
遡ること14年前、私は結婚2年目にして長女を授かった。何のトラブルもなく幸せな妊婦で、もちろん産みの苦しみはもう二度と出産なんてするかと思うぐらい味わったが、教科書通りの安産だった。喉元過ぎれば熱さを忘れるなんて上手いこと言ったもんで、2年後には長男を妊娠していた。
親族に妊娠を伝えた翌日の検診。いつもよりドクターのエコーが長い。仕事帰りに滑り込み最後の患者だったためサービスだと思って楽しんでいた。でも違った。ドクターの手が止まる。「ちょっと手足が短いね」ん?スタイルが悪いのか?昭和の子なのか(笑)?ピンと来なかった。優しいドクターが全く笑わない。「紹介状書くから大学病院に行ってみて」
短かくなったのは私の寿命だ。
心配で心配で心配で心配で。事故をしたらいけない。どうにかどうにか涙を堪えて運転した。その直後の記憶は無い。
帰宅後夫に「どうだった?」と聞かれ言葉よりも先に我慢していた涙が溢れた。もうすぐ2歳の長女も泣き出してしまった。やっとの思いで声を出した。「赤ちゃん、手足が短かいんだって」
大学病院の受診予約はそれから3日後。その間、私良く生きていたな、よく普段通り仕事に通ったなと思う。
大学病院で詳しくエコーして頂いた。
そして診断は?実は確定診断はつかなかった。はてなマーク付きで聞かされた診断は「致死性骨異形成症」酷い名前だ。因みに今は「タナトフォリック骨異形成症」と改名しているが意味合いは同じだ(笑)。致死性とはいえ数年間生き延びる方もおられるらしい。つまり何が問題なのか。骨の異形成ということで、長幹骨という手足や肋骨などの細長く伸びる骨が伸びないのだ。勘の良い方はお察しだろうか、肋骨が育たないため肺が入る隙がなく、結果肺呼吸に支障をきたすのだ。
お腹の中では肺呼吸が要らず元気いっぱいの長男は、エコー中は手を口に持っていきモゾモゾ、可愛いかった。私が不安過ぎて1人で落ち着いて聞ける自信がなく、忙しくて年休なんて取ったことのない夫が仕事を抜けて来てくれた。「付くもん付いてるから良かった!」とホッとする夫。無知ゆえなんて楽天家なのだろう。でも、私も前向きに頑張ろうって決意した。
妊娠26週手間、妊娠7ヶ月の時に「逞磨(たくま)」と名付けた。音や意味、字画による姓名判断で悩みに悩んで決定した。「あ」の母音で明るく、逞しく。字画診断で「大器晩成」と書かれているものは全て除外した。逞磨の命は恐らく短い。晩を待っていたら大器は仕上がらないと思った。朝には大器が仕上がらないと!胸郭は小さいくせに、ちょっと頭が大きい逞磨。うん、なんか味のある個性的な器ができそうだ!
僕の人生こうしてくれなんて何も意見をしてくれないお腹の中の逞磨に代わって、夫と何度も議論を重ね、延命をするのかしないのか、どの程度まで延命措置を行うのかなどを決める作業が連日続いた。延命延命と言葉では知っているが、具体的にどんな処置をもって延命というのか案外知らなかった。産科・小児科ドクター、ソーシャルワーカーにもお世話になり、結局、人工呼吸器はつけないが、最低限酸素吸入などの苦しまないための処置はしてもらうことにした。
出産の直前までたくさんの葛藤があった。なぜならお腹の中では元気だから。さすが男の子なのか、短い足のくせに長女の時よりも強く蹴ってきて、心音もしっかり聞こえ、しゃっくりもよくして笑わせてくれた。しかも逆子。そのくせNSTをつけると動き回る(笑)これはなかなか癖強な性格なんじゃないか?なんて想像したりして。
でも、外に出た途端、肺が成長していない逞磨は息ができなくて窒息死してしまう。産声も聞けないかもしれない。そんな時に私はお腹を切られていて何もしてあげられない。早く会いたい気持ちと、このまま永遠に時が止まって欲しい気持ちとが交錯した日々だった。
出産の日、結局逞磨はキャッという一瞬の産声をあげ、30分自発呼吸してくれた。そして、病院の計らいでオペ室にて立ち会わせて貰った夫の腕に抱かれ、私に腕枕をされ、いつの間にか眠るように天使になった。逞磨が苦しまないことが一番の心配だった私にとって、最高の親孝行息子だった。産声まで聞かせてくれて。
命について、この世に生を受けることについて、それぞれ捉え方や価値観があると思うが、私は人には使命というものが与えられて生かされていると思う。そしてそれは、個々に合わせあてがわれたもので、案外自分でも気付きにくいものであると思う。使命が見つかり主体的に積極的に生きていける人は幸せなのではないだろうか。私のお腹の中に9ヶ月、腕の中に30分、私たちのところにやって来てくれた赤ちゃんは、いったい何を伝えに来てくれたのだろう。逞磨が語れない分、私がそれをこじつけることになる。いや、そんなことは考えなくても良いだろうし、使命があるなんて私が勝手に思っていることに過ぎない。ただ、生を受け、寿命が30分だっただけのこと。でも、それではあまりにも逞磨が浮かばれない気がして、私が本当の意味で前を向けない気がして…。
でも、逞磨の病気が分かり、長女の時のような教科書通りの過酷とはいえ幸せな妊娠出産体験だけしか知らないと何も学べなかった世界が、そこには山ほどあった。本当に貴重な経験をさせてくれ、たくさんの新しい価値観を得られ、自分や周りの感情と向き合った1年だった。いや、12年経った今もまだ逞磨の恩恵は続いていて、きっとこれからもそうだろう。
逞磨のことを話す相手を選ぶ時、自分にとって本当に必要な人が誰かが見えた。この12年の間でも、逞磨のことを話した時の反応で相手の価値観を少し踏み込んで知れたりもする。当然話す相手は選ぶけれども。大学病院で様々な想いを抱えた方が奮闘されていること。その時にだけ優しさを見せてくれる人と、継続的に気にかけ続け支え続けてくれる人…。子どもを亡くすことの辛さや命の重さ。普通に子を授かることの有り難さ。健康であることへの感謝、平凡の連続は非凡なことで、当たり前なんて存在しないこと…。たった30分の命の赤ちゃんが、こんなにもたくさんのことを伝えに来てくれた。本人がどうして欲しかったのかは未だに分からないけど、きっときっと、平和ボケした私に気付きを与えてくれ、それを活かすよう身をもって教えに来てくれたと信じている。そしてきっと、その経験を元に私が更に幸せなら喜んでくれていると信じるしかない。ちなみに今は、私の、私たち家族の守り神となってくれている。いや、勝手に「神様仏様逞磨様」的位置づけにされている(笑)いつも逞磨が見守っていてくれるから、私は無敵!きっと大丈夫だと思える。ん?逞磨、私の無鉄砲さに拍車をかけてる(笑)?!
死後の世界があるとは思えないが、天国なるものが本当にあり、死者たちが楽しく語り合っている場があるならば、きっと祖父母や御先祖様に囲まれ可愛がられている逞磨に、いつか彼の分も精一杯生きた私の人生を土産話にできるよう、不器用ながらも必死にもがいている今を愛おしみながら生を全うしようと思う。生きていれば辛いこともたくさんあるし、しんどいことの連続だ。生きること自体が面倒くさく感じられる日もある。だけど、逞磨の一生を思うと、そんな考えがとてつもなく贅沢だと思うようになった。そして、幸せなことに、死んでからでさえ楽しみができた。私のお腹に来てくれて、本当にありがとう、逞磨。
とかなんとか纏めようとしつつも、私には逞磨のことで、大きな後悔が3つある。
1つは出産時、周りに気を遣わずにたくさん逞磨に話しかければよかったと思ったこと。
もう1つ。私の職場には年に3回ほど会報誌のようなものが発行される。各部署や事業所の近況や、職員の異動や結婚出産の情報が載る。逞磨が産まれたあと上司に、その新聞に私の出産を載せないよう依頼した。私の妊娠出産を知らない人が見て、万一声をかけてくれた時、逞磨の一連のことを話すのはまだ辛すぎると思ったからだ。しかし、数ヶ月後、配られた会報誌を読み、出産おめでとう欄に同僚2名の名前とお子さんの名前が書かれており、なぜ私は載せなかったのだろうと非常に後悔した。保険証も返却せねばならず、逞磨の名前が記載された物はほとんどない。逞磨が生きた足跡を残せばよかった…。でもその時の私は一生懸命悩んで、記載から省いてもらう選択をしたんだ。
そしてもう1つ。出産4日後、逞磨を棺に入れたあと、私も火葬場について行きたいと申し出たが、夫いわく新生児は骨も何も残らず、拾うものがない人は火葬場に来れないと言われたとのことだった。若干食い下がったが、帝王切開術直後の私をいたわるために判断してくれている可能性もあるかもしれないなんて考え、飲んだ。しかし、数年経ってSNSで新生児の火葬に付き添った人の書き込みを見かけた。今と昔は違うのか?葬儀屋さんによって違うのか?火葬場によるのか?葬儀屋さんに自分で連絡して本当に火葬場に行けないのか確認をすれば良かった。いや、火葬場まで行ける方法を探せばよかった。とはいえ、暫く朦朧としていた私に代わって夫が頑張って連絡を取ってくれた上、当時の私には新生児の火葬でも付き添う人がいるということを知らなかったわけだから、その時にはどうしようもできないことだったわけで、これも仕方がない。ある意味知らぬが仏だったのかもしれない。
人は1日に約35000回も選択と決断をしていると言われる。「あ、今トイレ行こ!」と小さな思いつきを実行するのも小さな決断なわけだ。大きな選択と決断には勇気がいる。私も今回逞磨のことで、大きな選択を迫られた。その為にたくさん調べて色んな人に協力を求め、様々な視点から情報を集めた。一つ一つの選択に、その時のベストを尽くした。
それでも後悔しないということはない。どれだけベストを尽くしても、どこかで後悔することがあるのだと思う。悔やんだ時は、関係のないことまで関連付けてしまったり、普段そんな発想しないくせに科学的根拠も何もなくスピリチュアルなことに迎合してみたりして。私も、あの時忙しくし過ぎていたから逞磨がこんなことになったのか、日頃の行いが悪いからこんなことになったのか、夫と喧嘩ばかりしていたからこんなことになったのか、妊娠中発熱したからこんなことになったのか・・・なんて考えたりもしたけれど、自分を責めたとて答えは出ないし、何ならきっとより一層悪い方向に進んでいく。そもそも致死性骨異形成症は遺伝子の突然変異だ。3万人に1人ぐらいの割合で誰にでも起こり得る。
その時はその選択しかできなかったし、それがその時の精一杯だったのだから肯定するしかない。つまり、自分の考え方次第だ。自分で自分を許し(赦し)認めることが必要だ。
結局何年経っても答えが出ないことだらけ。なぜ火葬場に行けなかったのかは葬儀屋さんや火葬場に電話をかければ分かるのかもしれない。でも、新たな後悔が増える気がしてできずにいる。
本当にこの選択肢で良かったのか、息があるうちにもっともっと逞磨を抱きしめておけば良かった。もしも元気に生きていたらどんな男の子になっているだろう。今すぐ会いたい・・・。夢に出てきて欲しい・・・。12年も前のことなのに、未だに涙が出ることもある。傷が癒えていない?いや、傷じゃない。逞磨はプレゼントであり勲章だ。そして私専属の守り神。きっと「大変なお母さん選んでしまったよ」なんて笑いながら見守ってくれているに違いない・・・と信じるしかない。だって答えはないんだ、逞磨の本音は分からない。悩みだしたらキリがないから。
逞磨という小さな小さなヒーローのお陰で、本当に数え切れないぐらい、言葉で表現できないぐらいの学びを得た。前述以外にも、生きるということそのものの価値や、妊娠し無事生まれ無事、そして健康に生き続けることがどれだけ奇跡かということ、白黒つかないことがたくさんあることを実感したり、みんなに助けられていること、死に様は生き様なのではないかということ、結局自分の機嫌は自分で取り、事柄をどう自分なりに捉え処理して前を向いていくか。時には自分を守るためにこじつけも必要なこと、共感するということの体感、抱え過ぎず語ることの大切さ、強くなるということ、家族や周りに支えられていること、愛する人を亡くすということ、同じ出来事でも色々な捉え方や解釈があること…。
まだまだ書ききれない。
たくさん学んだとか言いつつ私は成長できたなんて烏滸がましくて言えたもんじゃない。
起きた出来事や出会い全てに感謝を忘れず、時々は逞磨を思い出して初心に戻り周りに優しく生きていきたい。可愛い精一杯の産声を聞かせてくれ、苦しんだ素振りを見せずに寿命を全うしてくれるという最大限の親孝行をしてくれた逞磨への恩返しはできないので、その分周りへ恩送りをしよう。
逞磨、そして、関わってくださった全ての方に心から感謝致します。
「生きるのがめんどくさい」なんてもう言わない。
「辛」いはあとひといきで「幸」になるんだ。まだまだ当時を想えば、逞磨に想いを馳せれば涙は出るけれど、渦中を過ぎた今だから言えること。
人生に色を添えてくれてありがとう。
どうか、私のこの体験と逞磨の存在が、生きるのがめんどくさく感じている方になんらかの気持ちの変化や気づきをもたらすことができますように。
そうすれば、逞磨の命が報われる気がするのです。