オザケンを聴く精神性
期間限定の煌めきと、永遠に続く小さい宇宙!それは同時に存在する。
よーーーく眠ったら山登りの用具を買って、串カツを食べて?、スタジオの準備をして、よく考えて、働いて働いて、疲れをその日だけは栄養ドリンクで蹴散らして、山に登って、働いて、選挙行って、スタジオ行って、ちょっとしんどいな、と思いながらも頑張って、キーボードに向き合って、働いて、またアドレナリンでおかしくなりながら矯正器具の痛みに耐えながらご飯を食べ、そしたらまたちょっと頑張って、、あれ、わたし今月休みがあまりない。。。????
夜道ではたと正気に戻り手帳を見ると11/4まで誰かしらと会ったり頑張る日が続くっぽく、ヤバい!!!!!!!!となっているので、11/4は絶対に1人でいよ、、。たっぷり眠り、好きな時に起きて、好きなことをして、少しだけ外に出られたら上出来な日にしよ。。。
今年は金木犀でアクセサリー作る時間なさそう。「金木犀 かおりすれども姿は見えず。。」と思いながらチャリを漕いで鼻をきかしている。こないだ久々にリサイクルショップに行ったら、すごく良い音のカワイのトイピアノやかっこいい囲碁版や質の良いフリスビーやジンジャーブレッドマンのかわいいぬいぐるみがあり、お金がほしい!と思った。プレーリードッグのように、誰かが捨てたものを巣に持ち帰り集め続けている。でも家が狭いんだよなぁ。心苦しいけどいらないものを追い出そう。。ゴミ屋敷に住む婦人になる未来に抗いながら、雑多な部屋に住んでいる。
ルイーズ・ブルジョワ展、凄まじかったな。美術館を出た後にも、腹の中に重いものが残る。怖くて恐ろしくて切実で柔らかかった。しなやかさ、ではなく、柔らかさ。なんにも知らない人だったけどひょんなことから観に行って、深刻な顔をしながらひとつひとつの作品を眺めたけれど、急に彼女の精神に興味が湧いたのはなぜなのか、考えると確かに今のわたしにしっくりくる気がする。
女性であるという事が、わたしはわりと好きだ。ハロプロやゆっきゅんの曲を聴きながら化粧をするのは楽しい。女性の社会で話をするのも嫌いじゃない。良くも悪くも感情が表出する、問題が表出する、思いやりや目配せで回っている、ことが多いと思っていて、それは居心地悪くない。でも、女性であることで嫌な思いをしたことも当然ある。ほとんどの女性が大人になるまでに、不審者や痴漢に遭遇しているのも、ふざけるなと憤っている。わりかしタッパのあるわたしでも4回あっていて、普通に町を歩いてるだけでこんな思いにされるのも、それによって将来に響き続けるトラウマを持つのも理不尽だ。でも、すべての男性がそうとは思わないし、男性だって、男性であることで辛い思いをすることがあるだろう。表出しないグロテスクさもきっと。女性だからと軽んじられることには嫌悪感があるし、つい100年前、女性には参政権もなかった。どっちが辛いじゃなくてお互い辛い、だからこそ理不尽な目にあったら声をあげなければならないし、相手を尊重しながら性差と差別をわけなければならない。と、なんにもわかってないなりに考えている。わたしは賢くないから、まだまだ賢くなれると思う。
日記書いてたら眠すぎてトイレで寝てた。尋常じゃなく足が痺れている。。