見出し画像

秘密裡にしてた事を忘れちゃったことさえ忘れ行く未来に |「大豆田とわ子と三人の元夫」9話観た

昔々あるところに…
そんなはじまりの物語で育んだ生粋のおとぎ心。身体まるごと感受性の塊で喜怒哀楽のお部屋も建設最中であった幼少期の私は、ピカピカでシャラララでキキララの水源のようなそれを浴びるように見つめていた。お気に入りに認定されたのは「眠れる森の美女」で、寝ている間に何もかも整えて優しく起こしてくれるシステムを操る魔法への憧れはとどまることを知らず。真夜中に目を覚ましてしまったある日、想像力の妖怪のような小さな胸を震わせ、怖さとわくわくが入り混じった高揚感は今現在も消えずに残っている。早寝早起きの夢破れても夜ふかしへのトキメキは同仕様もなく募ってしまうのだ。

「大豆田とわ子と三人の元夫」にて、主人公のとわ子さんは始まりと終わりにこちらに微笑みかけながらタイトルコールして下さる。毎度のお決まりながら、今週もやっとお会いできた嬉しさに始まり、前のめりで観ていたことご存知だったのですね…という気恥ずかしさに終わる。そして、あの得も言われぬの“エモ”エンディングで余韻にひたりながら喉元詰まった瞬間を回想しソワゾワは止まらず。走馬灯のような予告が流れ去ったのを皮切りに、個人的歴史の生傷のままのいつかの後悔の断片がニョロっと顔を出して小2時間位感情が迷子になる。残すところあと1話。こんなに勝手に少し傷ついてまで堪能しているドラマに出会えて嬉しい。

毎話3回は観ていて、4回はリフレインした回もあった。心掬われるような台詞が対話の中に散りばめられ、余白のある演出で紡がれる登場人物たちの機微にそこでは明かされない各々の想いに少し疲労する程に思いを馳せて。フィクションの有り得なさは存在の愛らしさに魅了され続けていると説得力とは違うベクトルで、新しい朝がくるのと同じ位自然に寄り添うように眺めてしまう。これまで何度仕切り直して、やり過ごして、機嫌直しながらやってきた私の人生みたいにとわ子さんとそこに集う人々の暮しにはちょっとしんどい重みと言葉にならない面白さがある。

幸せを願って止まない誰かの可愛らしい瞬間に立ち会えたのなら、きっとそのひとときは自己肯定感の惑いなんか吹っ飛ぶ位大切なものとなるんだろう。思えば、1話スイッチ切れる寸前まさかの穴に落ちて八作さんに救出され、あったかいお風呂に入って美声の無駄遣い響かせたり、おうどんを食べておなかが満たされたと同時に眠ってしまうとわ子さんはとっても安心していて最高に可愛かったよな。小鳥遊さんに話してた憧れの生活そのもので、めんどくさいけれど勝手に温かい、愛している人との時間が映っていた。あれは確かにパラレルじゃなかった。並行世界を共有出来る相手が居たら、そんなことを認識し合える一瞬があれば、独りでもやっていけそうな気がする。

叶わなかった想い
あの人を忘れられない中年女性がある日、認知症になる
日に日に進行する病
段々と自由になる心
彼を失う日がもうすぐやってくる

時々見てうなされる夢がある。孤独死への絶望感がリアルに頭の中で映像化出来てしまうお年頃の今日この頃。忘れられないそっとしまったままの宝箱の中身は、忘れたことさえ忘れてしまわない内に、年中閉店セールのポテンシャルで一掃大セールした方が良いのかも知れないと薄々感じさせられた9話クライマックスの2人のシーン。おとぎ話では描かれない物語のその先をこんなにも甘やかにロマンティック・コメディと銘うって、砂漠化しそうな心のど真ん中に届けていただき、感謝しております!というはなし。

いいなと思ったら応援しよう!