124 そこにあったもの 赤塚さんへ
今日赤塚さんからLINEがありました。
「かっこちゃん! ありがとう」
そして、できあがった『いつか知りたかった古事記』を赤塚さんがの手に持たれている写真を赤塚さんは一緒に送ってくださいましたね。
すごくうれしくて、そして私はまだ出来上がりを見ていないので
「わーい、ありがとう。いい出来ですか?」とお返事したら
「うん 泣きそう」って。
赤塚さんすごくうれしかったです。ありがとう。
そして、心から感謝しています。一緒にこの本が作れて本当によかったです。
私ね、考えていたのです。今日。雪がずっと降り続くのを見ながら、考えていました。
いろんなこと。
私ね、突拍子もないことを言うようだけど、数学がずっと好きでした。高校のときも大学のときも。
ただ公式に当てはめて計算したりするのじゃなくて、解けないような難しい問題を、大昔の数学者が考えていたのはなんというロマンだろうと思って、そして、素数やルートや虚数やいろんなことを考えるのが好きでした。
一番好きだったのは、数学や数字はきっと誰かが発明したものじゃなくて、もうすでに、この世界が始まったときから、そこにあったものなんだということを考えるのが好きだったのです。私は本当に変な子でした。今でも少し変な子ですが。
そして、数学だけじゃなくて、言葉も誰かが作ったものじゃなくて、すでにあったんだと思っていました。どの国の言葉もきっともうあったんだなあって思っていたのです。
支援学校の子どもたちと出会ったときに、子どもたちが、桁数の多い掛け算をさっと解くので聞いたら「(答えは)見えるからわかる」と言ったり、何語でもわかるお子さんがいて、「どうしてわかるの?」と聞いたら「その言葉を聞いたときに、何語でも同じ意味なら、同じ色と形がだから」というのを聞いたのです。
それでね、赤塚さん。やっぱりそうだったんだなあって思うのが本当にゾクゾクするほどうれしかったのです。
赤塚さんと出会って、保育園の三谷正子先生がお昼寝の時に読んでくださった聖書のお話を、私なりにですが深く考えるようになりました。
小さいときに読んだ神話を、古事記として、こうして考えることができました。
そして思ったのです。そっか、聖書も古事記も、誰かが発明したものじゃなくて、誰かが書こうとして書いたものでもなくて、きっとすでにあったんだなあ。そして大きな力によって表現された、書かされたんだなあと思ったら、同じようにワクワクしました。
そして、どれもが私たちがむなしく生きなくてすむように、用意された「モノ」や「コト」や「人」なんだなあと思いました。
ねえ、赤塚さん。私たちは本当に何があってもだいじょうぶ。心配いらないと私はやっぱり思います。
「それは病気にならないとか、死なないということ?」と尋ねた方がおられました。「いいえ、死にます。病気にもなります。でもだいじょうぶです」と私は心から思うのです。
『いつか知りたかった古事記』を二人で書いて、いっそう日本が大好きになりました。もちろん日本だけが特別だとか、そんなことを言うつもりはありません。
だって、赤塚さんが教えてくださいました。八紘一宇のこと。みんなひとつ。サムシング・グレートは決してひいきはしないから。
でも思います。こんな素敵な日本に生まれたことをやっぱり誇りに思いたい。日本人が昔から大切にしてきたことが、私たちの血や肉を作ってくれているということ、やっぱり大切にしたいです。
赤塚さんに今度お会いできるのはいつでしょう。そうそう、21日にネットでお会いできますね。対談。何のお話をしましょうか? やっぱり古事記がいいかなあ。楽しみです。
またね。
かつこ