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123 人生は楽しいことばかり 赤塚さんへ
赤塚さん、ベトナム旅行ありがとう。
やっぱり旅はいいですね。そして、赤塚さんがおっしゃるとおり、誰と旅をするかでそれは変わってきますね。赤塚さんと一緒にみんなで子どものようにはしゃげることは何よりしあわせです。
いつもそうだけど、ベトナムの旅は本当に楽しかったです。自分が常識と思っていることとはまったく違う環境で生活をしている人から見ると、それは当たり前だったり、よくあることだったりする、自分の常識では、何もはかれないのだということをベトナムでまた感じました。
線路の際にカフェが並んでいて、さっき電車が通ったはずなのに、そこには人が溢れていて、電車から3センチくらい離れたところで平気でコーヒーを飲んでいて、たくさんの雑貨も売られていて、私たちは線路の上を歩いて、買い物もしました。そのときに、お財布を持って出なかった私はひろこちゃんにお金を借りて、線路の際に下がっていた可愛い白雪姫の編みぐるみを買いました。それが目の前にあります。このお人形は私に、常識を外してものごとを考えていくことの大切さを思い出させてくれます。
ベトナムの人たちは、バイクがきっと止まってくれると信じて、バイクの切れ間のない道路を渡る。そのときベトナムの子供たちは何を考えるのだろう。自分で動くとき、誰のせいにもしないで、自分のいのちを守ることを知るのでしょうか?
本当に本当に楽しかったね。
そしてね。古事記をまとめることも本当に楽しかったです。
私も『いつか知りたかった古事記』のあとがきを載せさせてください。
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古事記は私たちの物語 山元加津子
小さいころ、家にはやさしく書かれた神話の絵本が何冊かありました。どの本も面白くて、ヤマタノオロチをやっつけるお話にドキドキしたり、まるはだかのウサギが痛そうで、涙が出たりしながら読みました。あるとき、これらの物語は全部つながっているひとつの物語だと知りました。それが古事記だったのです。
そしてこの物語のずっと先は、実は私に、そしてすべての日本人につながるのだと気がついたときに、とても驚いてうれしくなりました。
いつかそのうち、できるだけやさしい文章で古事記をまとめてみたいと思うようになっていました。
今回、日本の国、ヤマトの国を大切に考えている赤塚さんと一緒に、古事記をまとめることができて、とってもうれしく思っています。
同じく日本を心から大切に思っている小林正樹さんが「私は古事記の一番大切な所は、その冒頭だと思っています。アメノミナカヌシの神、タカミムスビの神、カミムスビの神の名が登場されるのですが、これは宇宙創造のエネルギー、それも三位一体のエネルギーだと思っています。この三柱の神が森羅万象をお造りになったのだろうと思います。しかもそれを、神々としてお造りになられたと思うのです。だから全ての存在は神さまなのだと考えています。ですから皆さまが『私は神さまの分霊なんだ』と分かって戴ければうれしいなぁーと思っています」と言いました。
私も心からそう思います。古事記に流れる物語は、実は美しい愛の物語なのだと思います。
「シラス国日本」は、自分のことだけでなく、他の人を大切に思うことを重んじてきました。
自分のことも目の前の人のことも、大切な存在だと知って、大好きでいられたら、それはとても幸せなことだと思うのです。
私の尊敬し、人生の指針となる方に、生命学者の村上和雄さんがおられます。先生は生前、この宇宙の始まりは一点で、その一点には、設計図があったとしか考えられないと言っていました。その一点が持つ力をサムシング・グレートと呼び、すべてが大切で必要で、助け合って支え合ってひとつのいのちを生きていると考えていました。まさに、私たちの国の、おおもとのなりたちと同じと言っていいと思います。その意味においても、日本人にとって、古事記は私たちの大切な書だと思います。
美しい日本の物語『古事記』を、あらすじではありますが、こうしてひとつにまとめる作業はとても楽しかったです。
最後に、この本をつくるにあたって、白樺工芸のリコちゃんはじめ、たくさんの友だちが、校正などのお手伝いをしてくださいました。心から感謝申し上げます。
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このあとがきにも書いたように、私はまず漢字ばかりで書かれた古事記を見て、自分の頭の中にある神話を思い出しながら、文章をまとめていきました。難しい漢文でも、頭の中には神話があったから、なんとかできる作業でした。
でもそれでは当たり前だけど、見えてこないものがある。赤塚さんが書いてくださるメールを読んでいくうちに、まず現代に生きる自分の常識でははかれないことがたくさんあることに気がつきました。
古事記を読んでいると、一目惚れして一緒になれた奥さんがいるのに、他の人を好きになって契りを交わす場面がよく出てきます。今の常識から考えたら「なんてこと!」と考えてしまいたくなります。でも、考えれば、光源氏の時代や百人一首の時代、通い婚で、愛しい人がいても、他の人とも心を通わすことがあって、そのことに私たちはなぜか、そうなんだなあと受け止めている人が多いと思います。それは、古事記よりも光源氏や百人一首に触れる機会が多くあったからなのかもしれません。考えれば不思議なことです。
ともあれ、今の常識では簡単にははかれないことがあるのだと思いました。
そしてすごくうれしかったことは、最初は少しも気が付かなかった大切なことに気がつけたことです。赤塚さんが教えてくださった「シラス」「ウシハク」の言葉。
これは、村上和雄先生が考えるサムシング・グレートと同じだなと思えて涙が出たよ。
だから私、今、赤塚さんと古事記をまとめていられるのかもしれないって思ったのです。
サムシング・グレートは、みんな大切で、みんな必要だからこそ存在する。そして、すべてが神様。そしてみんなでひとつのいのちを生きている。それは「シラス国」のめざすことと同じだったのですね。
赤塚さん、聖書が多くの人を救い、癒すように、古事記もおんなじ愛の物語だったのですね。
本をまとめるとき、仲間のみなさんが何度も一緒に読んで編集してくださいました。私はこれまでは、出版社さんが本を出してくださったから、編集してくださる方がおられたけど、今は私が出版社。そういうわけにはいきません。でもね赤塚さん、自分で何度読んでも、気が付かないところっていっぱいある。
仲間のみなさんは、みんなね、それこそ赤塚さんが教えてくれたように、徳とか損で読んでくださるわけじゃなくて、愛いっぱいで読んでくださる。一緒に「いいものを出そう」って思ってくださる。だからそんな時間もめちゃくちゃ楽しいです。
本当に楽しい毎日。
私こそ、思います。赤塚さんいてくださってありがとう。
毎日ウクレレ練習してるよ。それも楽しいから。楽しいことがいっぱい。
それではまたね。 かつこ