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羽を休める場所が必要だ。
羽を休める場所が必要だ。
お世話になった精神科の先生はよくこう言った。
人間は、最初赤ちゃんの状態で生まれて、感情の力で人を癒す。
それから、知性や体の力を使うようになる。
人間には3種類の人間がいて、体を使うのが得意な人間、知性を使うのが得意な人間、それから感情を使うのが得意な人間だ。
精神科に来るような人は感情の力を取り戻すと物事がうまくいくようになる。
最初は何を言っているか分からなかった。
しかし、その先生(仮にS先生とする)が自分の生き方を取り戻して、まるで芋虫から蝶になるように生き生きしてくる姿を目の当たりにした。
すると、私はなんだか直感がさえるようになって、色々なことに気が付いて、人を癒す言葉をつかえるようになっていった。
いつか薬の要らない自分になれること
いつかここじゃなくても、好きな場所で生きれる自分になれること(別にここが嫌いなわけではない。ここでしか生きられない自分から、ここで生きたいと、望んで生きられる自分になれること)
つまり、私はS先生の感情の力で自分の病気が癒されていったのだ。
(ちなみに、先生は前のブログの例えで言うとキリギリスだ。キリギリスは感情の力で人を癒すのが仕事だ。そんなキリギリスは自分の道を見つけると本当に生き生きする。)
これをスピリチュアルと思うかどうかは人それぞれだ。
でも、私にそれが起こったのだ。(今でも不思議に思う、自分にこんなことが起きなければ信じなかった。)
芋虫から蛹へ。蛹から蝶へ。
S先生に言ったことがある。
「芋虫が蛹になって、蝶になるとき、芋虫の体はドロドロに溶けてとても痛いと思うのです。でも、それは成長に必要な痛みで、恐れる必要のない大事な痛みなのです。その痛みがあったから蛹は蝶になるです。」
人間には成長痛がある。
伸びるとき、成長するとき、痛みを伴うのが人間だと思う。
つまり、今の私の苦しみ、過去の私の苦しみは芋虫から蝶になるのに必要な痛みなのだ。
痛みを大事にする。
痛みを恐れないとは、痛みを無視することではない。
痛いとき、「痛い」と感じることだ。
痛いとき痛いと感じ、辛いとき辛いと感じ、悲しいとき悲しいと感じる。
疲れたときは疲れたと感じる。
それが大事にすること。
それが恐れないということ。
蝶も鳥も木に止まる。
では、蛹から蝶になったらどうなるのだろうか。
私は感情を大事にすることが得意になること、そして感情の力で誰かを癒すことができるようになると感じる。
(これはS先生が言っていたことでもある。)
しかし、蝶も木や葉に止まる。
蝶は羽を休める。
休みたいと思った時に、休みたい場所で羽を休める。
私にとっての止まり木。
私には心の底から愛している妹がいる。
妹は絶対に私を否定せず、辛いとき、いつも寄り添ってくれる。
そんな心が休まる人と話したり、そばにいたりすることが羽を私にとって休めることだ。
いつ死ぬのか分からない。だから愛と感謝は伝えたい。
私は何度も自殺未遂をしてきた。
16歳のころから、自傷行為が始まり、段々とエスカレートし、首をよく吊ろうとした。
なんども失敗しては、失敗したことに後悔した。
そんな日々を振り返って思うのは、大切な人が明日生きているとは限らない
ということ。
それは事故かもしれないし、病気かもしれない。
でも、死は突然やってくる。
そのとき、大切な人に愛と感謝を十分に伝えなければきっと後悔する。
宇宙人と翻訳家。
妹は止まり木であると同時に、私の翻訳家である。
私の宇宙人的思考が人間世界でどううけとめられそうか、私に分かる言葉で教えてくれる。
それは、人間関係のことが多く、恋愛だったり、友人関係だったりする。
私に起きた現象を私が理解できないとき、翻訳家は活躍する。
理解できないとき、私は何かを恐れていることが多い。
(両親に怒られること、もう学生ではないのに先生に怒られること、大人に怒られること、正しい人に怒られること。)
でも、思い悩む必要はないと、私が分かる言葉で教えてくれる妹は素晴らしい翻訳家だ。
もう一度言う。愛と感謝は伝えたい。
そんな妹は明日死ぬかもしれないし、100までいきるかもしれない。
私はそんな妹に愛と感謝を十分に伝えられているだろうか。
伝えても伝えても足りない。
大事にしたい人を心から大事にできているだろうか。
いつも(いつもは考えすぎて疲れるし、ちょっと悲しくなるから時々でいいや。)考えよう。
愛と感謝は伝えられているか。
羽を休める場所が必要だ。
今日、こんなことを書いたのは今日の仕事でとても疲れたからだ。
(でもいい疲れ、心地の良い疲れ、満足感、やり切った感じ。)
そんなとき、疲れで何もできなくて横になっていたら、「羽を休める場所が必要だ」という言葉が浮かんできた。
疲れたら、蝶は羽を休める。
もし、自分に羽が休まる人がいれば、愛と感謝は思う存分伝えて欲しい。
いくら伝えたってきっと伝えきれないのだから。