Mariko
少しずつ自分の本当に好きなことを始めていこうと思う。でも、考えたら好きなものって「猫」と「575の勝手な韻ふみ」だけだった。ルールとか斯くあるべきが苦手だから自由に自分だけで楽しんでたけど、もうちょっとひろげてみようかなと。
いつ頃だろうか、 同じ目線の高さまで登れなくなったのは。 いつ頃だろうか、 ソファーの上にさえジャンプしなくなったのは。 当たり前のことだけど、目尻の皺が、ある日突然にはできないのと同じように、愛猫が年をとっていく過程を日々感じとりながら過ごすことは難しい 得てして、ふと何かの拍子にその違和感に気がつくものだ。そうなると、あれもしなくなった、これもできなくなったと気がつくことがあふれてくる。 焦って愛おしいその顔を両手で包み見つめてみる。かつてのキラキラしていた瞳は薄暗
子どもの頃を思い出すとき、一番最初に出てくるのが「お篝り(おかがり)」。6月30日に、神社の境内で大きな篝火を焚き、無病息災、家族や自分の健康、安全を祈るものだ。当時はたくさん夜店(露店というのか)も出ていてにぎやかだった。 毎年、母が、押し入れにある茶箱(why茶箱管理)の中から、浴衣を出して着せてくれた。盆踊りより前に着る浴衣、夏休み前のおでかけ、なんだかとってもうれしかった。当時は、まだ匂いの強い防虫剤を使ってたから、「臭い臭い」なんて言いながら、仕度をしてくれてる母
資料室の書架整理をした。 古い本を閉架書庫へ移しながら、世代交代をした本の背表紙を追う。 穏やかな装丁、シンプルなフォント、少し黄みがかった小口、見てるだけでノスタルジックな気持ちになる。 気になった一冊を手にとりページをめくる。 ふわっと届く古本の独特な匂いが、また懐かしさを誘う。 第一刷は一九八九年、「わたしが小学生の頃の本だ、母はこんな考えの時代に子育てをしていたのか~」なんて遠い記憶に思いを馳せる。 いまはもう、人生を、日常を、昔話を気軽に話してくれる大人たち
「生きづらさ」という言葉を聞かない日がないほど、その広がりには驚く。丁寧に見てほしい、職場に、まわりに、かつての笑顔を失った人はいないだろうか。多様化が叫ばれる今、「男らしさ・女らしさ」という言葉は、たしかに影を潜めた。やっと私たちは違和感のある抑圧から「自分らしさ」を手に入れた、はず。それが、おかしい自分らしく闊歩しているはずなのに、なんだか元気がでない。どうやら、言葉こそ消えつつあるが、「男らしさ・女らしさ」の呪縛に行くてを阻まられ生きづらくなっているようだ。 自分ら
シングルファザーなんて言葉が定着したのは、つい最近。ほんの数年前までは、その生活を理解する人はいないに等しかった どこに行っても冷たくあしらわれた、父子家庭の生活は、想像をはるかに超えていた この時代にテレビがない?寒さ厳しい真冬の北関東、小さな兄弟がシャワーだけ?月八万円足らずで父子三人の生活? これが、実話にもとづくライフヒストリー、生きる意味を問う。 最初に『君たちにサンタは来ない』(朝田 寅介 ヨシモトブックス)の広告を見たのは、 去年の夏、FACEBOOKの
最近 ちょっと寂しく感じたときに、 体の前で腕を交差させ、両肩を“ポンポン”と、自分でやさしく叩いてみる もう、50年も一日も休まず動いている体が 有難いと思ったり、 つらいことに耐える自分を労ったり、 母が亡くなり、自分のことを真から心配してくれる人がいなくなった 夫も去り 子ども逹は、思春期や青春真っ盛りだ そんなことも影響しているのかもしれない 人生をふりかえり、 この10年は辛かったなぁ~と思ったり… なんとなく、前を向けそうになり これまでの経験をアウト
きたー同調圧力?きたきた、同調圧力? 「ママ、大ちゃん明日注射打つって!ぼくは?」 「ぼくは打たないの?」 きたきた、「みんな一緒がぼくはいい!」の息子が、帰宅そうそう問い詰める。幼児期からずっと一緒にサッカーをしている仲間が、一人二人と打ち始めたようだ。人一倍仲間意識が高く、思春期真っただ中の息子がゆれる。 「そうね、まだちょっと考え中…」 「え~なんで~」 まだ、接種をしていない。まわりはどのように決断しているのか?前代未聞の非常事態だ、明確にYes/Noの理由を答え
「率直な意見を上手に伝えるのって難しい」 「丁寧に話しても、なぜか感じ悪くなってしまう……」 仕事でのコミュニケーションにおいて、「自分の意見を上手に伝えられない」と悩む人は多いのではないだろうか。しかし「自分のコミュニケーションの癖」を知っておくことで、その悩みは改善されていくのだ。 先日、専門家による、「コミュニケーションの講座」が開かれた。その備忘録として今回Noteに記録する。 人のコミュニケーションパターンを大きく3つに分けているので、「自分はどのタイプか」、また
『ヴィータ 遺棄された者たちの生』社会的遺棄される者は、家族や社会といったさまざまな制度のなかにある裂け目に、ただ滑り落ちたわけでない。いくつかの社会的文脈の新たな相互作用や並置のなかで筋書きが作られ現実のものとなっていくのだ。 そう、 排除者はつくりあげられ追放されていく… 正常とされる社会がつくられて、棄てられていくことは日常多々ある。 会社でも学校でも家庭でも… 『ベロニカは死ぬことにした』 平和で富める社会には普通さを複雑にすることでしか差