「なぜカレーを食べたいのか?」とあなたは考えるだろうか
理由を考えることのナンセンス
あなたが「カレーを食べたい」と思ったとき、いちいち「なぜカレー食べたいか?」などと考えるでしょうか?
結論から言ってしまうと、自分自身の行動にいちいち理由をつけるのは、ナンセンスだと考えています。仮にあなたが、「カレーを食べたいと思っている理由はこれだ!」と思ったとしても、それが本当に合っているのか証明のしようがありません。
単純にカレーが好きだからということも理由になり得るし、SNSでカレーの画像を見かけて、それが無意識の内にカレーを食べと思わせたのかもしれません。もっと言うと何年も前に食べた絶品のカレーの味が、フラッシュバックしてカレーを食べたいと思わせたのかもしれません。はたまたその全てが理由なのかもしれません。
考えすぎて意欲を失ってしまう
一人の人間の一つの行動には、その人のすべてが詰まっていると思います。過去の記憶や思い出、今現在に考えていることや感じていること、未来に対する想像や期待、その全て集約されて、私たちの「〇〇したい」という欲求を生んでいると思うのです。
つまり理由付けはできても、その理由が本当にそうなのだと裏付けができません。そして、理由を考えている間に肝心の意欲や行動力失ってしまいます。そんなことは、とてつもなくもったいない思うのです。だからナンセンスだと感じるのです。
理由がわからなくてたって行動することもあります。いやだと思っていてもずっと継続していることもあります。それは私たちが考えてもわからないレベルで、脳の複雑な因果関係が混ざり合っているからです。ひとえに理由がこうだと言うには、私たちの思考回路はあまりに複雑すぎます。
しかし、いくら中身が複雑であると言っても、答えは常に分かっています。今現在の行動です。いろんな理由が複雑に混ざり合って、最終的にアウトプットされるのが行動です。
小難しいこと言いましたが、言いたいことは単純です。なぜそうしたいのかわからなくたって、行動すればいいのです。あなたのやりたいことは、行動が物語っています。それが今やりたいことそのものです。
「本当に私のやりたいことなのかな?」と考えて、行動するのが遅くなってしまっているのは、もったいないと私は心底思っています。
揺らぎようのないことに目を向ける
そして、行動を起こせば「それが自分のしたいことなのか」ちゃんとわかるはずです。わからなくても、行動するだけでより多くの情報が得られます。行動して、上手くいかなかったとしても、上手くいかなかったということが分かります。継続できなくても、継続できないということが身をもって知れるのです。それが、次の判断材料になるのです。「上手くいかないならこうしよう」とか「向いてなさそうだから、やめてしまおう」というように。その繰り返しがあなた自身の経験や知識を膨大し、沢山の思い出を作り、生活の密度を高めてくれます。
だから、脳内に「行動した方がいい」というバイアスをかけておくべきなのです。そうすれば、きっと人生は楽しくなると私は信じています。
本日はここまで。素敵な週末を。
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