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『聴くことから始まるダンス』遊行編vol.7 即興ダンスフィールドワークLOG :

フィールドワーク同行者も募集しています。年齢性別ダンス経験不問。
問い合わせなど kakioproject@gmail.com


30.「地球という惑星から来ました」

出典:『宇宙人と出会う前に読む本』 高水裕一/著 
講談社BLUE BACKS

ルートPaM/
先日、ルートMとルートPaが合流し、ルートPaMとなった。
今の行き先の候補はニューヨークのメトログラフと東京三鷹の太宰治の博物館ないし墓、神戸の相楽園、神戸諏訪山ビーナスブリッジ、大阪中之島のエステサロンである。(ルートPbは除く)
粘菌と能劇「遊行柳」の物語をダンスを呼ぶ方法として手本にして、
身体スケール、歩きベースな自然な流れのフィールドワークにしたい。

ニューヨークのメトログラフと東京三鷹の太宰治の博物館ないし墓。
どうしようか? 遠い。
私の師匠はこんな時どうするだろうか?
きっとこんな風に言って、こんな風をする。

「ニューヨーク、じゃあ入浴やね、ええ、駄洒落です、それが何か?
入浴しましょ、風呂で踊るんです、銭湯行ってもいい、でも湯を張らずね、湯を踊るということですね。
それで、三鷹ということは、鳥やね、タカやね。
ネイティブアメリカンのマーガレットホークさんのお婆さんの言葉にこんなのがあります、「火の上を跨いではいけないよ、そんなことをすれば火に燃やされてしまうことになるから、火があったら、その周りをぐるっと遠巻きにするようになさい。」
ね、だから、鳥の羽を三本頭につけましょう。
今回のような場合は大方、帽子とか羽飾り髪飾りとか、何か天への意識があった方がいいでしょう、たまに、指を一本立ててもいいけれど、未来や過去というより、上空、地面という方向ですね、
それか、フィルムをぐるぐる高速で回転させてフワッとflowしたり、
横をガクッと縦にしたり、捻りを入れて表裏を無くしたり、そんな感じでもいいかと思います、そして限定することね、智慧というのは限定することですからね、今回の現場はまずとりあえず地球ですね、地球人としてね、
宇宙、暗黒物質、暗黒エネルギーなど、これらを無視するのではないですよ、お客さんの気持ちになるのは必要ですよ、でも絶望からじっくりね、簡単に単純化しない、目の前、地面地面、これからこれから、長い目で見ながら、いつもいつも、更新、土壌、更新、土壌土壌、
そして、まるごと扱う、まるごとね、まるごと湯になってね、
湯気融通無碍、適宜適切にね、急がなくていい、
踊ったらいいのです、こんな風に。」

こうやって師匠は、なんやかやいって、結局、すごい踊りを踊るだろう。

ニューヨークと東京三鷹については、タイミングや機会を待つことにする。
(これを読んでおられる方で、NYや三鷹の近くにいるとか、
近々行く予定がある方が、もしおられたら、
よければ、私の代わりにそこを聴いて踊ってもらえませんか?
感想や想起した記憶などメールしていただけたら大変嬉しいです。)

31.「私はただ精一杯トライしているだけだ」

出典:『ピーター・ビアードの冒険』 ジョン・バウアマスター/著
野中邦子/訳 河出書房新社

フリールート/
私は悠々と歩いていた。
目的の場所がないからである。ただ汗だくだった。
八月の強烈な日差し。
「ダンサーは汗とともに」というホセ・リモンの言葉を思い出しながら、
もう一度、私はいったい何をしているのか?を考えようと思う。
最終的にどんな絵が浮かび上がるかわからない、それがこのフィールドワークの楽しさであり、この態度の提示が一つの目標ではある、それはわかっていたが、ただの過程であるこの行動は、何を扱っていて、どの文脈に置けば、他人にも伝えられる言葉になり、どういった現場ならば共通の話題や出来事として立ち上がるのか。
元来、感覚的な人間である私は、この酷暑にましてや踊ったりなんかすると、どうも色々と忘れてしまう。忘れたいのかもしれないが。
このnoteに文章を書くことで、じぶん誰やねん?、何しとんねん?そんなことについて考えられるのは、良い。
とにかく、ダンスを深く知ろうということだった、すっかり忘れていた。
集中的に踊ろうと、この八月、家の近場をあちこち歩きに歩きいろんなところで踊った。
聴くことから始まるダンス/レッスン編と称したものをアップしたことも気になって、実際ほんまにこんなふうに踊ってるんかいなと踊った。

ダンスメモ:
彷徨いている時に、隙あらば裸足になっています。
田中角栄めっ、アスファルトひっぺがしたいと思う時もあるけれど、
裸足で歩くの最高です。

32.「This  Magic Moment」  by Lou Reed

ルートPaM/
相楽園(そうらくえん)へ。
神戸市立相楽園は、兵庫県神戸市の三ノ宮(さんのみや)、その一つ西隣の元町(もとまち)という、いずれも繁華街で神戸の中心的なJRの駅、
その山手側、北側にある。
三ノ宮の旧居留地という地域に、高砂(たかさご)ビルという建物がある。
この建物は元は、パナマ帽などの材料を輸入加工する工場として建てられたもので、阪神淡路の震災にも耐え残った。
その高砂ビルの二階にある100BANホールというライブハウスで、
10月2日に行われる、即興ライブに出演する。
8月26日、そのライブの下見のために、三ノ宮に行った。
同じ出演者の方と、昔から人気の洋食屋でオムライスなどを食べ打ち合わせを終え、私はそのままひとり相楽園へ向かった。
高砂ビルから、北西へ山手の方に30分ほど歩き上ってゆくと相楽園に着く。
坂道が続き路地が入り組む、相楽園周辺の道は疲れるけれど歩いていて楽しい。小さいけれど、感じのいい様々な店があり、隠れ家的絶品飲食店やカフェ、また色んな国の人が住むその土地柄ゆえ、見たこともない世界の食材を扱うお店やムスリムのための礼拝堂であるモスクなどもある。

相楽園は神戸市立の池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)日本庭園である。
巨大な灯籠、厩舎、和洋折衷の建物、屋形船が陸揚げされたもの、ひょうたん池、石橋、飛び石、樹齢300年のソテツや樹齢500年のクスノキなどもある。
馬と石が好きな私は、厩舎と色んな種類の石で組んだちょっとした洞窟を、聴き踊った。
ここは、明治期には元神戸市長小寺謙吉氏の先代小寺泰次郎氏の本邸だったという。昭和に入って神戸市の所有となり一般公開されるようになったとのことだ。
自宅の庭がこんな風だったらどんな気持ちだろうか、
例えばお金があったら、私は今のようにうろついたり踊ったりしないのだろうか、ビルゲイツやホリエモンは自ら踊りそうにはないが、芸術、自由主義経済、科学、主観、倫理、時代、皮膚、所有、幸福、幸福の発見、など、このような所感や言葉達がちらちら浮かんだが、これらは暑さで溶けるようにうやむやになって、そのまま蒸発してどこかに飛んだ。

この相楽園からさらに山の方へ、北に歩くと、ここもクミコさんのおすすめ場所である諏訪山(すわやま)公園があり、その先にビーナスブリッジがある。相楽園を出て、坂をさらに登って諏訪山の麓まで行ったが、案内板を見るとかなり広そうだ、もう日も暮れかけてきたのでここは次回訪れることにした。

帰り道は海手の方へ駅の方へ、坂を下り降りる、
その途中の入り組んだ路地の隙間にあった、山本通り公園で裸足になって踊った。いいところを見つけた。
近くに来ることがあったらまたここで裸足で踊ろうと思う。

33.「静かに思えば、よろずに過ぎにしかたの恋しさのみぞ、せむかたなき」

出典:『徒然草』第二十九段 吉田兼好/著 角川書店編 角川ソフィア文庫

ルートPaM/
生まれて初めてエステサロンに入った。
雨だった。8/28日、台風10号が近づいていた。
大阪国立国際美術館のすぐ近くのビルの一階にエステサロンclearはあった。通りに沿った長く広い一面がガラスになっていて、店内の受付や待合室の様子がわかる。
白色を基調にした内装、調度品、明るく清潔感ある空間に、長く伸びたカウンター。
国立国際美術館では梅津庸一さんのクリスタルパレスという特別展が行われている事を知ったが、そのことが一瞬、中の様子と重なったりもした。
ビルの玄関口に入ると、右側に、曇りガラスに指でなぞり書いたようなフォントでclearと文字があるおしゃれな白いドアがあった。
このドアの前で、アウトドアブランドmontbellの紫色の軽量折り畳み傘を畳みながら、私は、場違い感と戦った。
なんで?こんな私が?おしゃれなここに?お呼びでないどうしよう、しかし迷ったら入れん、こういう時躊躇したらなかなか入れない事を、私は知っている、若い時、場違いなアルバイト先、例えば浄水器の訪問販売など、そんな会社へ面接に行く時や、好きな人に告白する時なども、そうだったろ。
事前の準備も躊躇いも恥じらいも、考えて行動することも勿論大事だが、
こういうこの時のような一瞬は、まず踏み出すこと、まずそれが大事、
そんな時もある、それが今だ。
この傘を畳み終わったら、小さく畳み終わったら、小さくキレイに畳終わったら、とにかくこのドアを開けよう。
カバンを二、三度揺すり雨粒を落とし、畳終わった傘をその中へ、
息を吐いて、ドアを開けた。
私はエステサロンに入った。

ここclearを訪れたのは、藤田邸跡公園で会った、ユウカさんの記憶からである。ここに勤めておられるという、彼女の友達で暗黒舞踏ダンサーのエステシャンを訪ねてきた。
結果から言うと、舞踏ダンサーの彼女とは会えなかった。
ここには、もういなかった。
窓際の椅子に座ってノートパソコンを前に仕事をされていた店長らしき女性は、いきなりな私の訪問にも関わらず、とても感じ良く応対してくださった。不安が不安を呼んでも仕方がないようなこんな時代のこんな訳もわからない突然の訪問に、自然にオープンに堂々と接していただき、
それが嬉しかった。さすがプロだと感心した。
暗黒舞踏ダンサーが今はここにはいないことがわかり、
そうかあ残念ですそうですか、、あのもし、よければ、ここでこの空間で今踊らせてもらえませんか?、と発声しようとしたその時、
4時の予約のはずのお客が今、3時55分に来店した。きちんと早めにいらしたお客様を一瞬、恨んでしまったが、仕事が始まる。
私はお礼を言って店を出た。
また降り出した雨の中を嬉しいような残念なような余韻のまま、
ぼんやり少し歩いたら、大阪北教会という小さな教会があった。今度の日曜礼拝説教のタイトルは、「生きるにしても、死ぬにしても!」であった。

vol.8へ続く→


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