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『聴くことから始まるダンス』遊行編vol.9 即興ダンスフィールドワークLOG :

プロモーション映像2、公開中。
https://youtu.be/uiTjlyHvISM

Thanks/アキラさん クミコさん ユウカさん 藤田邸跡公園の職員さん アスカさん レラさん Hadi フクちゃん

フィールドワーク同行者も募集しています。
年齢性別ダンス経験不問。
問い合わせなど kakioproject@gmail.com


38.「ナイフなんていらねえ」

出典:『うんこと死体の復権』2024|日本映画 監督/関野吉晴 
配給/きろくびと

アキレス腱を痛めた。
10月25、26、27日に京都芸術センターで行われる『リンチ(戯曲)』というダンス作品に出演するのだが、そのリハーサル中、ドイツ、イギリス、フランスというセリフを、ジャンプしながら叫んだ時だろうか、
それともカマキリになって両手を鎌状に高く上げたのちさらなる威嚇のため足を強く地面に打ちつけた時であろうか、
はっきりといつ痛めた、という記憶はないのだが、
その次の日、9/21の夜中に右足のアキレス腱がパンパンに腫れて、ひどく痛み歩けなくなった。
これからどうなるんだろう、どうしようかと一瞬頭が真っ白になったが、
この日から世間は三日間休日で病院は休みだし、さらに風邪だかコロナだかで熱、鼻水、咳も出てきたから、まあ、とりあえずはする事がない、
仕方がないと思った。
怪我の症状や対策をネットで調べていたら、ドリフターズの高木ブーさん(91)もその日にアキレス腱を断裂されたことを知った。
そして、ブーさんは出演予定だった音楽フェスをキャンセルしたとのこと。91歳で音楽フェス出てるの?!すごいよ高木ブー。
ブーさんと一緒、同じ芸人としてなんとなく嬉しい。

「亀が浮かんでいるのを見たら、五体投地をしなさい。」
頬かぶりした誰かに、そう囁かれて、何それ?そんな亀おるんかいなと思いながら、
マンションをドアからでなく窓からフワッと抜け出した屋上、そこに浮かんでいたのは、亀だった。
体長1メーターほどの丸い山型フォルムの陸亀が、地上4メーターほどの空中に浮かんでいた。
本当にいた!とびっくりして、五体投地をしようとしたが、周りにちらほら他の人がいる、こんな所で急に地面に突っ伏したら、変なやつ、迷惑、恥ずかしい、しかし、傍にいる女性が、わたし、私だってそんな五体投地したい、したいけど、したいけど、と、モジモジした様子で腰を使って何度も体を捻っていて、そうだよね、恥ずかしいよね、でも、という事は、あなたも私と同じように思ってるって事は、他にもそう思ってる人も実はたくさんいて、だから亀を見て五体投地すること、これはそこまで常識はずれでもおかしな事でもないし、まして人に迷惑をかけるようなそんなことでもないのかもしれない。
一瞬のためらいの後、
私は思い切って両膝、両肘、頭、を地面につけ五体投地。
そしたら急にあたりが輝き明るくなって、光の中、何かの大きな扉が出現し、それがおもむろに開きだした。

このような夢を何度も見るほど、よく眠り安静に過ごしたおかげで、
大分アキレス腱は回復し、なんとか歩けるようになった。
10/2の神戸の即興ライブも無事に終わったし、
現在の『リンチ(戯曲)』のリハーサルにも、現場の皆さんの協力をいただき、なんとか参加できている。
問題は、フィールドワーク、今、あまり歩けない。
動けないなら、待つ。生物は多様である。
私は獲物を待つチョウチンアンコウのように、ダンスを待つ。

ダンスメモ:
当たり前のこと、とはなんだろうか。
なぜ、それは当たり前なんだろうか?
背景を知る。踊ることで、聴くことで。
腫れたアキレス腱に触れると、小さくジジジジジと音、振動。これを聴く。

39.「神は来るモノ/仏は往くモノ」

出典:『老いと踊り』中島那奈子 外山紀久子/編著 
第9章 日本の神話と儀礼における翁童身体と舞踊 ・鎌田東二 勁草書房

ルートPaM/
現在進行しているルートPaMの中で、自宅から一番近い所、
それは、大阪市北区中之島(おおさかしきたくなかのしま)のエステサロンclearである。
そのすぐ近くの大阪北教会まで行って終わっているルートがある。
今、長く歩けない私は、
この教会の前で”待つ”ことをすることにした。
待つ、聴く、話しかけられる、そんな事をしてみる。
そう、私は、チョウチンアンコウ、いや、芳しい香りをはなつ、美しい花。
さあ、虫達よ、寄ってきなさい。
なんとか前向きな心境をつくり教会へ向かった。

ダンスメモ:
ダンスは態度である、私は、そう考えている節がある。
コールアンドレスポンスをメビウスの輪のように、ねじって繋げて輪っかにして、ぐるぐる回してみたい。

40.「心に秘めるというのは何かというと、しゃべらないだけです。」

出典:『音を視る、時を聴く』[哲学講義]  大森荘蔵+坂本龍一/著 筑摩書房

ルートPaM/
中之島(なかのしま)は、都会である。
ここは、堂島川(どうじまがわ)と土佐堀川(とさぼりがわ)に挟まれた中洲であり、高層ビルが建ち並ぶ大阪の中心的なビジネス街、大阪市役所、日本銀行大阪支店などの公的機関も所在している。
大阪はかつて天下の台所と呼ばれたが、その中枢が船着場や諸藩の蔵屋敷がたくさんあった、ここである。
水運業で発展した水都大阪らしくこの辺は、”川”、”橋”がついている地名が非常に多い。

隣接して所在する国立国際美術館、中之島美術館、大阪市立科学博物館、
華やかで賑やか、そんなそうそうたる建物の、間、隣、裏、ここに、
大阪北教会はある。
10月20日、
教会前、4メーターほどの幅の道路沿いで、待った。もう寒かった。

ダンスメモ:
古代中国の軍師でアニメや小説の主人公にもよくなっている、
太公望(たいこうぼう)のエピソードに、 餌も針もつけない釣り糸だけがついた釣り竿を、日がな、川に垂らしていた。というものがあるが、
待ちながらそんなことも思い出して、そうか、あれは動いている世界への参加という意思表明、そんなオープンな態度をまず示すということなのかな、実際太公望が本当にそんな事をしていたかは不明だが彼はきっと退屈はしなかったし、止まっているけど動いていたろうし、なんなら自分が音楽になったようなグルービィな一体感や充実感もあったろう。
観客にとって、釣り糸だけの釣り竿、そんな役割のダンス、ダンサー。
これは、アリな気がするし私は今、それがしっくりきている。

41.「タイムボカン」 

1975〜1976 フジテレビ系列のテレビアニメ 制作タツノコプロ

ルートPaM/
教会前で3時間ほど待つと、なんとなくここが馴染んできた。
リラックスしてアクティブになった私は、
すぐ向こうの明るい方へ、国立国際美術館や中之島美術館の表玄関の方へ向かった。沢山の人が通り過ぎている。歩道の横の植え込みの段差が、ベンチのようになっている。そこに腰掛けた。
人間観察をしながら、話しかけられるのを待った。
私はダンサーである、態度を示さなければ。
今身体はどうなっているかを観察し気づいたのは、手の平だった。
普通このようなベンチなどに座っている時、
手は座面についたり、太ももや膝においたり、手や腕を組んだり、スマホや本やペットボトルを持っていたりして、とにかく、
手の平が内側、下側になっている。
これがダメなんじゃないの。
もっとオープンな態度を示すには、手の平は上、外に向けなくてはならないのではないか?
犬にお手を求める時、お釣りや商品を受け取る時、さあ僕の胸に飛び込んで来なみたいな時、そんな時は、手の平は外向きである。
だから、両手の平を上、さらに若干外向きにして、太ももに置いた、そして
話しかけられるのを待った。もちろん眉間の力も抜いて。

場所は自分である、自分は場所である。
幸福とは場所と自分との親密さともいえるのではないか。
そこにいるだけで(あるいは、いなくても)、それぞれの視線や存在感で場所や自分は変化する、
手の平上返しは、確実に場の様子を変えたと思うのだが、
話しかけられはしなかった。
急にオープンに無理くり明るくしてもダメだ、もっと時間をかけて、
そして、秘すれば花、このことも忘れてはならない。
が、しかし、
私の座っているベンチのような段差に、手の平上返し以降、
あれよあれよと、私と同じように人が座り出したのは、そしてそれぞれタイプは違うが全員ちょっとヤンキーめいた男達だったのは、手の平上返し効果、と、私が今日図らずも、チンピラみたいな格好だったからであろうか。

ダンスメモ:
日曜の午後、オフィス街は静かに眠っている、
何もしない事をしたい人にとって実は穴場だ。
ゆっくり歩きながらの帰途、オフィス街の間や隅や裏を彷徨き、踊った。
時代に、とり残されているようなピッタリ合っているような、暗がり。
夕暮れはとにかく、身体の力を抜き、呼吸を深くさせる、のであった。

vol.10へ続く→


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