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『聴くことから始まるダンス』遊行編vol.4 即興ダンスフィールドワークLOG :

京都芸術大学舞台芸術研究センター舞台芸術作品の創造・受容のための領域横断的・実践的研究拠点 2024年度 研究リサーチプロジェクト
「聴くことから始まるダンス」~耳を澄まして悲喜交々に巡る、高解像度なドタバタ[High-resolution Slapstick] 
研究代表 垣尾優(大阪市在住 ダンサー)のフィールドワークLOGです。https://k-pac.org/openlab/12419/

これは、「聴く」「リアクション」をキーワードに、なぜか気になる場所や、なぜか気に入った場所を、記憶を思い出すように踊り巡る即興ダンスのフィールドワークです。また、道中、出会った人にもそんな場所を尋ね、それらを手がかりに、次へ辿るように歩き巡ります。
フィールドワーク同行者も募集しています。年齢性別ダンス経験不問。問い合わせなど kakioproject@gmail.com


19.「これまでの遊びの定義は不十分である」

出典:『ホモ・ルーデンス』ホイジンガ/著 高橋英夫/訳 中公文庫

ルートPa(plage陶芸工房から鶴見緑地公園ルート)/
5月30日。風車は回っていた。
咲くやこの花館で出会ったシャケさん、ビビさんが教えてくれたとおり、風車はあった。風車は一定速度を保ちながらゆっくりと回っている。
風ではなくて電気で回ってるのだろうか。風車内部に囚われている屈強な男達がモーターの代わりに、掛け声呻き声を出しながら重い足どりで手押し車を押すように支柱の周りを回る、この人力の横回転をギアで変換して羽に伝えている、こんな漫画的な絵が、『伝染(うつ)るんです』(吉田戦車)の画風で一瞬、浮かんだ。”回転”は魅力的だ。
今、風車の丘はビオラ、チューリップ、ネモフィラの撤去と植え替え作業中となっており、大花壇に花は無い。沢山の穴が空いた黒いビニールシートに覆われている。夏に向けてジニアとヒマワリの苗を植えるという。
風車の丘の裏にさらに小高い丘、鶴見新山という標高39mの築山があった。頂上まで登る石段がある、見上げると、ちょっと躊躇うくらいの長さだったので迷ったが、登ることにした。若い男性が、トレーニングだろうか、勢いよく石段をダッシュで駆け上がっている。
鶴見新山の頂上は思った以上に景色が良く、しばらく川沿いばかりをへばりつくように、うろうろしてきた私の心が一瞬晴れた、が今日は曇り、空気が重いし寝不足だ、すぐにベンチに座った。
高い場所であるので(後で知ったが、ここは大阪市最高点だそうだ)、色んな音が聞こえる。いくつかは名前も知ってる鳥の声、風になびく木々が擦れる音、砂利を踏む音、工場の連続する機械音、車が通り過ぎる音がドップラー効果で、学校の放送、懐かしいチャイム、女性達の笑い声、ランニング走者がゼイゼイと大きく呼吸している。
もっとよく聞こうと私は立って、両脚を肩幅に開き、膝を少し曲げて、両腕を肩の高さに、空気の椅子に軽く座りながら大きな木を抱えるような形で立った。これは立禅(りつぜん)や站とう(たんとう)と呼ばれる気功や武術の稽古方法で、私もよくおこなう。目を閉じてしばらく立って聴いた。
しばらく立っていると、すっかり気分が良くなった。下りの石段を軽い足取りで降りる、と階段ダッシュしていた若い男性がちょうど休憩する様子、私は軽い足どりのまま話しかけていた。「ダッシュ何本したの?」「いやっ、まあ、10本くらいっス!」この爽やかな男性はイトウさんである。
彼としばらく話して、即興ダンスを見て思い出すような言葉や記憶を伺った。太極拳、風と音、気持ちよさそうである、との言葉、つけてくれたタイトルは「ナチュレ」。
彼が勧めてくれた次の場所は、フジタ美術館というところ、そこの庭だった。彼は、そこに月に一回は行くという、なぜそんなに頻繁に行くのか尋ねると、「いやあ、デートで行くんです、おじいちゃんみたいなデートが好きなんすよね~。」と。
イトウさんが、この鶴見新山の石段でダッシュしたのは今日が初めてで、スポーツも特にしてなくて、でも、この石段を前から知っていて、ここで走ってみたかったという。ただ、ここで走りたかった。これはダンスである。

ダンスメモ
ただ踊ってるところがあります、私も。どうしようもなくやむにやまれずという感じがあります。(勿論悲惨な気分で踊ってるのではないのですが)。
なぜ踊るのだろうとよく思うけれど『考える粘菌』(中垣俊之/著)などを読むと、ああ、生物だからそれで当たり前なんだと納得する。複雑な世界を、自分の意図と意識だけで生きてゆくのは無理がある。

20.「ビーチャ、大人のやることをちゃんと見ておくんだよ」

出典:『たった独りの引き揚げ隊』石村博子/著 角川文庫

ルートPa /
ここ、鶴見緑地公園は広大である、公園内には、風車の丘をはじめ植物園、子供広場、森、池、パークゴルフ場、乗馬苑、カフェ、プール、温泉、庭園、茶室、球技場、など30を超える施設がある。
敷地面積は123ha (ヘクタール)。ぐるり一周を歩けば4km、私の歩幅は70センチだから、およそ6000歩、1秒に一歩歩いたら1時間40分かかる。
1haは100m×100mの面積の単位で、こんな時よく例えられる東京ドームは4.6ha、123haは東京ドームおよそ27個分。
1haは、約3000坪で、田んぼで言うと10反、1反で収穫できる米は年600~800kg。とすると、この鶴見緑地公園を田んぼにすれば年間少なく見積もって、738,000kg、738t(トン)の米が収穫できる。
2022年時点の一人当たりの米の年間消費量が50kgだから、およそ1万5千人の一年間分の米を生産できる。ナイスアイデア!と思ったが、この公園の年間来場者数は、435万人。公園は必要である。
イトウさんと別れてから、せっかくだからと、公園内を歩き出したら、広大だった。見たことないがないような花がその辺に咲いている。なにかむせるようなワイルドな雰囲気を感じ、思わず目をやると赤の絵の具に黄色を混ぜ始めた、その時のような色の花が咲いている。珍しいな、なんだろうと吸い込まれるように近づくと、おんなじように、吸い込まれるようにこちらに来る自転車があった。音もなくこちらに来るその男性は、そのまま流れるように自転車を降りさらに歩いてくる、私達は振り付けが決まっていたかのように同じ軌道に合流し、さらに一緒に吸い込まれるように、その花の前に立った。
同じ動きをする者は同じ共同体にいる者である。まどろっこしい挨拶は要らなかった。これ、何の花なんですか?いきなりの私の質問に男性は、すかさず答える。「ザクロやな」。
彼は83歳で、1941年、戦中生まれであった。生まれた場所は、大阪市北区にある、扇町(おうぎまち)。
扇町は現在私が住んでいる町だ。あんたも扇町かいな、ということで、当時の街の様子を、ガラス店を営んでいた彼の父親から聞いた話などをまじえ、たくさん聞かせていただいた。戦後すぐに、扇町にあった大阪プールで水泳界の国民的スター、フジヤマのトビウオ古橋 廣之進(ふるはし ひろのしん)や橋爪四郎(はしづめ しろう)らがアメリカ人選手コンノと競ったことは特に覚えているという。
別れ際、彼に気に入っている場所はないかと尋ねると、「いやあ、人それぞれやもんなあ、でも昨日は毛馬の水門あたりいったんや。」「おとうさん!、僕もそこ、ついこないだ行ったよ!(ルートM)」、「ほんまかいな。」というわけで、ザクロそっちのけでまた、しばらく話した。

ダンスメモ
偶然か必然か、とか、そういう問い自体を踊ってるように感じます。私は、解決というより納得したいから踊ってるのですが、踊りを人に見せる場合はどうなんだろう?
感情を表現したいとか伝えたいとかは、あまり思ったことがないんだけど、
”踊る”ということ自体がすでに一つの感情のように思う時があります。嬉しい、悲しい、踊っている、ことが同じことのように感じる。しかし、人に見せる見られること、やっぱりそれも納得ということにつながることは確かで、そうなるとひとりで踊っているより、なお良いように思う。このザクロのおとうさんにもこんな踊りなんですと、ちょっと動いて説明した時、そんなゴツい体で柔らかく動くんかいな、うぷぷ、とか一緒に吹き出すようなきっかけにもなるし、それだけでも上等。

21.「White Center (Yellow, Pink and Lavender on Rose)」(1950)

補足:マーク・ロスコによる抽象絵画

ルートPa /
ザクロのおとうさんと別れ、公園をさらにぶらつくことにした。
惹かれたのはアーモンドの森、そして馬が好きなので乗馬苑である。遠くからだが馬を少し見ることができた。そして、アーモンドの森に向かったら、あっという間に迷って、気が付けば、公園の外に出ていた。引き返そうかと思ったが、このまま外周を回ったらすぐ別の入り口まで行けるだろうと歩くことにしたら、甘かった。景色はあっというまに変わるのだ。
鉄の匂い、金属を削る切削音、直線の組み合わせが目に飛び込む、気がつけば工場地帯を歩いていた。整備工場では、車がカジキマグロのように吊り下げられている。自分が思ってたより、公園に深く入り込んでいたのだろうか、今日の車や鉄は迫力があった。あふれる重さや硬さに圧倒される。公園の外周から外れないように、工場の間、住宅地の脇をいくつも抜け、やはりこの公園は広大なのだと思い知り、やっと辿り着いた公園の入り口は、帰りの駅の最寄りである南東口とは、全くの反対、対角にある北西口だった。
この広大な公園を、また抜けて戻るのかと、一瞬ぐったりしたが、見知った顔があった。外国人だろうか、彼とは今日この公園で何度もあっている、風車の丘で二回、工事中の日本庭園、そしてここである。
ちょうど向かい側からこちらに歩いてくる彼にすれ違う直前、疲れて、ぼぅっとしていたのだろう私はまるで知り合いのように声をかけていた。
「ここ、よく来るの?」「7days。」
若者はシンガポールから来た学生でHadiといった。
カタコト英語日本語で確認を取ると彼は日本に来てまだ、7daysだという。
「セブンデイズ?!」と二人ともこのおかしな状況を笑った。なんとか、ダンスとか記憶とかこのフィールドワークとか趣旨とかを説明して、即興ダンスを見て、思い出す言葉や記憶を話してくれることになった。
シンガポールは、2年間の徴兵制がある。彼は陸軍にいた。この話に続き、挙げてくれたのが以下の言葉である。(日本語の意味は一般的で代表的なもののみを挙げる)
tension/緊張・張力、stress/ 緊張・圧力、release/解き放す、overcome/克服する、march /行進、easy punish /簡単な罰、 rewarding/報酬。
家族が喧嘩するんだけど、アフターには幸せがある。とも。
隅においやられたような自動販売機で、私はパイナップルジュース、Hadiはレモンティーを買い、飲んだ。

ダンスメモ
空気の中にあるもの。丁寧に、適切なスピードで。

22.「どの方位を上にしているかは重要な特徴である」

出典: 初期の世界地図 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

今まで行った場所とルートを簡単にマップにしてみた。丸に数字はエピソード番号である。(距離は滅茶苦茶、ちなみにエピソード1.源八橋高架下近くの自宅から、エピソード12.鶴見緑地公園までは大阪メトロで34分、エピソード13.旧毛馬閘門までは歩いて40分ほど)
今回、ルートPa/エピソード22(23も)は、イトウさんが勧めてくれた藤田美術館の庭園、正式名称「藤田邸跡公園」である。
実はここはルートが派生したplage陶芸工房の近くで、ルートPaは、鶴見緑地公園からまた戻ってきたことになる。

ダンスメモ:
各地を意識的に聴いて踊ったりしてると、ビジュアルではなくて、音とか感じた空気感のようなもので作られたマップが、自分の中に発生してきた。そのことに驚いた。アボリジニの、歌で道を覚えているsong line ならぬ、listen lineみたいにまとめれたら面白いな。世界の把握の仕方は、いろいろあるんだろうな。

23.「「古代人」の生み出した最初の「文芸」は、おそらく謎々(なぞなぞ)のようなものだったことが考えられる。」

出典:『古代から来た未来人 折口信夫』 中沢新一/著 
ちくまプリマー新書

ルートPa/
「藤田邸跡公園」へ。今日は鼻炎だ。鼻血も出てきた。人に話しかけずに黙々と踊ろう。今はまだ青い紅葉の中を、木組みの橋が通っている、ゆっくり歩いて2分ほどの距離、陽の加減もあるのだろう、鬱蒼として良かった。庭園のすぐ隣の建設現場の大きなクレーンの上半分、首もニョキと見える、削岩機ロックドリルの音も激しい、ミスマッチの妙だ。橋上でしばらくいて、聴いて踊った。ここには青鷺(アオサギ)が二羽。もう暑い、緑の中も庭園の中も、蚊が沢山出てきた。史跡?名所?通路?、見るようなものは何もない場所、通るところでもないし休む場所でもない、誰もここで立ち止まることはない何でもない場所。そんな忘れられたような、空白のスポットが庭園の中にあった。ここには蚊がいなかった。目を閉じるとひんやり涼しい風、ここでしばらく立っていた。
また、庭園の人目のつかない隅っこの一角に、保管されているのか、うち捨て置かれているのか、大きな瓦、石灯籠、庭石のようなもの、狛犬2頭、石ころなどが、まとまってあった。ここも気に入って結構長い時間、聴くというか、踊るというか、一緒に居たというか。

ダンスメモ
狛犬といっても、石。だけどやっぱり気軽に撫でたり、ましてやペシペシしたり出来なかったなあ。どうしても存在を感じてしまう。ただの石もそうなんだけど、余計に。八百万の神とか物にも心や魂が宿るという世界観もあるが、それが科学的でないとか、どう、というわけではなくて、無いものを見たり、聞こえない声を聞いたり、こんなことも、今までを生き延びてきた人類が持つ、感性のひとつだと思う。まず、聴くことはリアクションをアクションより先行させること。

vol.5へ続く→


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