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出川哲朗の還暦と横浜放送映画専門学院

出川哲朗の還暦を祝うイベントが1月14日、横浜アリーナであった。

打ち上げでは、「内村光良と南原清隆が並ぶ貴重な光景」もあった、という女性セブンの記事。


出川哲朗、横アリ『還暦祭り』打ち上げは「1品99円」の超庶民派居酒屋 内村光良と南原清隆が並ぶ貴重な光景も

「出川さんはゲストとともにさまざまな企画に挑戦。センターステージに熱湯風呂がせり上がってくると、『押すなよ!』というお決まりのせりふから、最後は有吉さん、ダチョウ倶楽部さん、土田晃之さん(51才)が全員で熱湯風呂にダイブ。40年来の友人であるウンナンも大活躍で、司会やコントで会場を沸かせました。“出川さんのために”という気概を感じました」(イベント参加者)

(NEWSポストセブン 1月19日)


なぜ出川哲朗の還暦祝いが横浜で開かれ、なぜウンナンが出川のため「大活躍」するのか。

肝心の、出川と「横浜」「ウンナン」とのゆかりが、記事に書かれていない。

調べればすぐ分かることで、みんな知ってるから省略されたのだろうか。

少なくともわたしは、「日本映画学校」のことを調べるまで知らなかった。


出川、内村、南原は、横浜駅前にあった「横浜放送映画専門学院」の同期だった。

3人は、ともに同校の内海桂子好江のクラスに入ったことで運命が開けた。

41年前、横浜で初めて顔を合わせたころを思い出し、3人は感慨にふけったことだろう。

まもなく内村、南原も還暦をむかえる。



以前、つくった年表を、再び引用すればーー



1975年 映画監督・今村昌平が「既設のレールを走りたくない若者たち、常識の管理に甘んじたくない若者たちよ集まれ」と呼びかけ、2年制の「横浜放送映画専門学院」を横浜駅前に開校

1980年 「THE MANZAI」「笑ってる場合ですよ」「お笑いスター誕生」などが始まる。漫才ブーム。吉本興業に東京事務所できる

1981年 内海桂子好江が横浜放送映画専門学院の俳優科で講師を始める

1982年 内海の授業を受けたピックルス(楠美津香)が卒業後デビュー
      吉本興業がNSC(吉本総合芸能学院)創立
      NSC1期生の2人が「ダウンタウン」結成

1983年 好江のクラスに内村光良、南原清隆、桂子のクラスに出川哲朗が入る。好江は、内村と南原に、お笑いへの転向を勧める    

1985年 内村、南原、出川、横浜放送映画専門学院卒業
      横浜放送映画専門学院は、3年制の専門学校「日本映画学校」に改組

1986年 日本映画学校が新百合ヶ丘駅北口に開校
      内海好江が審査員をしていた「お笑いスター誕生」で内村と南原の「おあずけブラザーズ」(のちウッチャンナンチャン)優勝

1988年 ダウンタウンが東京進出、大人気に

1989年 昭和→平成に改元

1990年 出川哲朗は俳優として活躍していたが、この頃テレビタレントに転身



この年表、最近の松本人志の記事でも引用した。

松本人志のスキャンダルで、クリーンな「とんねるず」が再浮上、という記事があって、それに触発されてわたしも記事を書いたのです。


ウンナンも、松本の件では、引き合いに出されている。


松本人志の活動休止で再評価「ウッチャンナンチャン」の“優しい笑い” 「M-1の審査員もウッチャンにしてほしい」

「同じ第三世代でも、厳しいツッコミを得意とするダウンタウンや、後輩いじりが武器のとんねるずとは違い、出演者たちをうまくつなぎ、和やかな場を演出するウンナンの“優しい笑い”が再評価されてきています。また、さまぁ~ずやくりぃむしちゅー、有吉弘行など、ウンナンに取り立てられてスターダムに駆け上がった芸人は少なくありません。事務所の別なくさまざまな芸人とからみ、売れっ子を生み出してきた包容力とフックアップ力をもつウンナンは、ハラスメント的なノリを避けたがる業界のトレンドにピッタリです。笑いの実力とともにコンプライアンス的な安心感も備えるウンナンは、ダウンタウン不在をフォローする最右翼と言えるでしょう」(お笑い関係者)

(AERA dot. 1月19日)


松本人志の失脚で、やや落ち目だったとんえるずとウンナンに好機がめぐってきた、とマスコミがはやし立てているわけですね。


「第三世代」の特徴は、師匠に弟子入りせずに芸人になったことだけど、ウンナンや出川には、専門学校時代の内海桂子好江という「師匠」がいた。

ウンナンや出川が、芸能界で長生きできているのは、その師匠の教育のおかげかもしれないねえ。


それにしても、出川ももう還暦か。

ウッチャンナンチャン、出川、バカリズム、狩野英孝、ニッチェ、アルコ&ピース・・著名な芸人をたくさん輩出した横浜放送映画専門学院と日本映画学校(現日本映画大学)のことを、いまのうち、だれか本にすればどうだろう。

神奈川で芽吹いた芸人たちの青春群像・・ドラマ化、映画化もありうる!

歴史の証言者は、どんどんいなくなってしまうだろう。

いまならネットでも、同校出身の人の証言がいろいろ拾えると思う。

よろしければ以下のわたしの記事も参考にしてください。



<参考記事>


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