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もう「政権交代」を諦めよう 〜サヨナラ、小沢一郎

小選挙区制は限界


今度の選挙、選挙区で落ちたのに、比例で復活する「ゾンビ議員」が多いことに、多くの不満が聞かれた。

「民意」が裏切られているように感じるからだ。

有田芳生さん、松下玲子さん、大石あきこさんが比例復活って。もう、比例復活なんて制度廃止したら?ホント絶望感しかない。


せっかく投票所に足を運んでも、わかりにくい、理解不能の制度が発動して、損をしたように感じ、腹がたつ。こんな経験が投票率を上げるわけがない。


以下のような記事も出ていた。

「日本の選挙制度は腐ってる」比例復活の「ゾンビ議員」に怒りの声(FLASH 2024/10/27)


小選挙区で落選も比例当選を疑問視「ゾンビ復活」がトレンドに 舛添要一氏が指摘「止めたほうがよい」
(よろず〜 2024/10/28)


上の「FLASH」の記事にもあるとおり、これは小選挙区制の副産物だ。


比例復活とは、比例代表で重複立候補することにより、小選挙区で落選した候補者が文字どおり『復活当選』できることです。少数政党への配慮や有権者の投票を無駄にしないための措置で、衆院選挙だけに適用されます。
(上掲FLASH記事)


小選挙区では、一人しか当選しないので、死票が大量に出る。「比例復活」は、それに対する救済措置なのである。


小選挙区制が導入されるまで、日本は中選挙区制(一つの選挙区から2〜5人程度が当選する)だった。

なぜ「小選挙区(+比例)制」になったかといえば、小選挙区制の方が、大きな政党が勝ちやすいからだ。

大きな政党を勝ちやすくして、二大政党による政権交代をうながすーーそれが小選挙区制のねらいである。


小選挙区制によって、二大政党の政権交代をうながす政治のやり方を、多数決型、またはウエストミンスター型という。

中選挙区、大選挙区によって、多党連立で政治権力を共有するやり方を、コンセンサス型という。


ゾンビ議員の出現は、すなわちウエストミンスター型の「コスト」である。(だからウエストミンスター型信奉者たちは、「ゾンビ」みたいな否定的呼称を嫌う)


日本は、典型例ではないが基本的にはコンセンサス型だったのが、ウエストミンスター型に変わったわけである。

それはいつのことだったか?

1993〜94年の細川内閣の時だった。

選挙制度改革の立役者は、ご存じ小沢一郎である。


あれから、ちょうど30年たったことになる。

おかげで政権交代もあったわけだが、それで日本国民はハッピーだったか?

直近の30年より、それ以前の「日本的コンセンサス型」の方がよかったんじゃない?

ウエストミンスター型、「政権交代至上主義」は、日本を不幸にしただけじゃない?


そんな声が聞こえてきて、おかしくないし、実際、今度の選挙で聞こえている。


日本に小選挙区制はもう限界。
たった1人しか選ばれない制度の為
死に票が多いのと、新規参入障壁が高すぎる
しかも、地盤盤石の大政党に有利ですしその大政党も
公認権と刺客で執行部の独裁状態です
定員を増やし、中選挙区制に戻す
そして、供託金を廃止するべき
民主制がまともに成立しない


そもそも小選挙区制自体が「二大政党制が確立している前提で政権交代を機能させる特殊なシステム」で、現状は小選挙区の害悪を軽減するために比例導入してる「小選挙区導入ありきの異常な選挙制度」なのです。
だから二大政党制ではない日本は、衆院を中選挙区制に戻して比例を廃止すべきなのです。


偏向の陰に「小沢」あり


考えてみると、いま50歳以下の大人たちは、衆院は小選挙区制しか知らないわけである。

日本が「コンセンサス型」であった時代を知らない。


われわれの世代(60代以上)は、なぜ日本で「政権交代」が渇望されたか、なぜ小沢一郎の選挙制度改革が歓迎されたか、ある程度、了解している。

日本は「自民党一党独裁の後進国」と、海外からも批判された時代を知っているからね。


でも、若い世代は、なぜ選挙制度がこんなふうになっていて、なぜそんなムリクリ政権交代させようとしているのか、わからないかもしれない。

だから、「小選挙区限界説」が噴き出しているのではないか。


たしかに、この政権交代至上主義ーーというか、小沢一郎主義を、そろそろ考え直すべきだと思う。

弊害は、小選挙区のゾンビだけではないからだ。


今回の選挙でも、相変わらずマスコミの偏向報道が、ネットで問題視された。

いわゆる左翼偏向で、自民党の「裏金」問題を選挙の争点とし、立憲民主党の味方をしているようにしか見えなかった。


色んな所で言われていることだけど、自民党の不記載議員に「裏金」というマークをつけて、立憲民主党の公選法違反議員や大石あきこなどのその他の不記載議員にも何もマークをつけないのは偏向報道っすよね。
裏金だけが不祥事ではないのに、殊更に裏金を強調した。第二の椿事件だと僕は思うな


しかし、これも、左翼偏向とだけは言えず(それもあるが)、「政権交代至上主義」のたまものと見ることができる。

マスコミは、とにかく政権交代を煽りたい。政権交代が正義であると信じるから。そのためには、「2大政党」の一方である立民のアラには目をつむり、実際上、立民を応援するしかないのだ。

マスコミも、「小沢一郎主義」なのである。

(小沢主義が、マスコミの左傾化を正当化している、ということでもある)


そして、その背後には、日本の知識人層、アカデミズムの「小沢一郎主義」がある。


たとえば、前回(2021年)の衆院選の前に、朝日新聞出版は小沢一郎をたたえる『職業政治家 小沢一郎』(佐藤章)という本を出した。


その本には、「知の巨人」佐藤優のほか、井上達夫、山口二郎という、法哲学、政治学の二大権威者が推薦文を書いている。

かなりメッキが剥げた佐藤優はともかく、井上と山口は、東大法学部を最優等で卒業した人であり、官界や司法含め、インテリの上層部に信頼が厚い。

その推薦文を読めば、どちらも、小沢が「政権交代」を可能にした点を評価しているのがわかる。


井上達夫(法哲学者・東京大学名誉教授)の推薦文

小沢さんはいまの政治家でぼくが唯一評価する人だ。政権交代が民主主義の生命線であることを彼ほどよく理解する政治家はいない。安保も経済も極めて難しくなっている今の時代に、小沢さんは政党と政党が政策をめぐって競争し、失政・悪政の責任が明確化され、政権交代で統治の変革が絶えず試みられる体制の構築をずっと求め続けている。ちゃちな権力欲や党利党略では動いていない。誤解されているが、権力ゲームを超えて筋を通そうとするからしばしば孤立してしまうんだ。彼の言葉を今こそ真摯に聞こうじゃないか。

山口二郎(政治学者・法政大学教授)の推薦文

政治の世界は権力をめぐる戦いであり、思想の戦いでもある。戦いには勝敗がつきもので、この30年、多くの凡庸な政治家は敗北で淘汰された。小沢という政治家は、権力の中枢から出発し、あえていばらの道を歩み、何度も敗北した。民主党による政権交代を実現した勝利の後の敗北は、安倍晋三首相による日本の私物化を許した罪深いものである。この敗北から立ち上がり、もう一度政権交代を目指すことは、小沢さんの最後の戦いである。彼の思いを知ることは、日本政治を立て直すために不可欠である。この本はその最適なテキストだ。


要するに、アメリカのような二大政党制が正しい、というのが、いつの間にか日本のインテリの信仰になっている。

マスコミも、識者たちも、その信仰にしばられている。


井上達夫も、山口二郎も、たとえば立憲民主党の辻元清美を、政治家として評価しているわけではないだろう(井上は特に)。

それでも、今度の選挙でも、立憲民主党を応援したはずだ。なぜなら、ウエストミンスター型、政権交代が正しいと信じているからだ。


そして、それを言うなら、小沢一郎だって、枝野だって、野田だって、辻元とか、党内左派を、内心では嫌っていておかしくない。

それでも、左派をつなぎ止め、辻元を幹部にとり立て、場合によっては共産党とだって手を結ぶ。それも、政権交代のためである。


しかし、そういう「政権交代のための数合わせ」は、見え透いているし、もう嫌われていると思う。

「悪夢の民主党政権」を経験したということもあるが、インテリたちに残る「政権交代至上主義」の熱が、国民のあいだで、すでに冷めているのである。


「リーダー」の不在


なぜ、日本で政権交代が機能しなかったのか。

さまざまな要因があるだろうが、私に思いつくのは、「リーダー不足」だ。

制度をつくれば、二大政党のリーダーが自動的に生まれるわけではなかった。


小泉純一郎や安倍晋三は、「多数決型」をそれなりに理解した政治家だったと思う。

二大政党制にとって重要なのは、党内のガバナンスだ。それぞれの政党が、強いリーダーシップのもとで統制されていなければならない。それぞれの党の主張や政策が曖昧では、政権交代の意味がぼやけるからだ。


特に安倍は、党内統制のための「官邸主導」を推し進めた。

それにも批判はあったが、基本的には、二大政党制のために、いいことである。


問題は、安倍のようなリーダーシップを発揮できるリーダーが、もう一方の野党に生まれなかったことだ。

鳩山由紀夫や菅直人の首相就任時の高い人気は、人々が民主党に強いリーダーシップを期待してのことだったが、彼らはその任に堪えなかった。

保守もいれば、中道もいれば、活動家同然の左翼もいる。そんなバラバラの党をまとめるリーダーがいなかった。

(そもそも、そんな烏合の党が生まれたのも、選挙制度で無理やり「二大政党制」にしようとしたためだが。)


それなのに、マスコミやアカデミズムの「政権交代至上主義者」たちは、安倍が強すぎるから政権交代が起きない、とばかり、「アベガー」を続けた。

問題は、安倍の強さではなく、野党のリーダーたちの弱さだったのに。

それは、安倍の自民党に投票しつづけた有権者たちには明らかだったが、「政権交代至上主義」「小沢一郎主義」というイデオロギーで目がくもったインテリ「リベラル」たちにはわからなかった。

それで、せっかく二大政党制向きの「強いリーダー」であった安倍晋三まで殺してしまった。


選挙民が欲したのは、古臭い活動家的な政治家を党内から追い出してくれる、民主党系の強いリーダーだったのだが、結局出てこなかった。

小選挙区制のおかげで、リーダー不在だが議員の数だけは多い、おもに年寄りの票を集める、連合にも信用されていない、わけのわからない野党第一党ができたが、とても政権を任せられる代物ではない。どうすんの、これ、という存在でしかない。


日本の選挙制度は、自民党と立憲民主党の二大政党で、政権交代をうながしているのだろうか。

それは現実には、「現役党」と「年寄り党」という世代分断をことさらに煽り、お互いに怒りと絶望を与える仕組みにしかなっていないと思う。


現役世代だって、自民党でいいと思っているわけではない。

野党に強いリーダーを求める若い世代の思いは、今度の選挙で、小沢一郎がいる立民ではなく、玉木雄一郎に向かい、国民民主党が躍進した。


安倍晋三の自民党と、玉木雄一郎の国民民主党が「二大政党」だったらよかったのに、と思った人は多いのではないか。

安倍さんが生きていたら、それが可能だったのだが・・


しかしーー現政局はどうなるかわからないがーー玉木雄一郎がいくら野党側で頑張ったって、今や自民党の方に強いリーダーがいない。

「二強」をつくる前に、「一強」すら壊れてしまった。

30年間の「政権交代至上主義」「小沢一郎主義」が、日本を停滞させ、政治の土台を崩してしまったのだ。


高市早苗に期待すべきかもしれないが・・


しかし、それよりも、そこそこ強いリーダーを何人かそろえた一大政党と、その政党の独裁にならないように監視・介入する複数小党による、妥協と調整、国対政治の日本式コンセンサス型に戻した方が、よくないか?

それが、結局、日本の現実に合っていたのだ。

大きな政党を育てるはずの小選挙区制で、今回、参政党や日本保守党のような、小党の数ばかりが増えている。何か制度の目的と日本の現実が合っていないのだ。


インテリたちの頭のなかでは、ウエストミンスター型とやらが理屈のうえで正しいのかもしれないが、机上の空論というやつだ。

もうすぐアメリカ大統領選挙だが、いまの内戦間近というような、あんな愚かしい状況を見て、それでも二大政党制が素晴らしいと言えるのだろうか。


ソンビ議員にもうんざりだし、無理やりな「野党推し」マスコミにもうんざりだ。

小沢一郎氏が泣こうが喚こうが、彼のレガシーである小選挙区制を廃止し、中選挙区に戻そう。

だれも期待しない、だれも幸福にしない「政権交代」を待っているより、昔の日本に戻る方が早い。



<参考>


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