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江戸の人権思想

こんにちは、老人です。

「人権」や「民主主義」「リベラリズム」みたいな政治思想は、その考えを広めるのはいいことですが、いまだに外来思想のように紹介する人が多すぎます。

これらが明治以降に作られた、あるいは入ってきた言葉なので、そういう思想は日本が「文明開化」してはじめてもたらされた、と考える人が多いのです。

最近、知ったことですが、「自由」「平等」といった訳語は、禅宗の用語が転用されたものだそうです。仏教の中でも高踏的な禅の言葉が選ばれたところに、これらの概念の「ありがたみ」を感じさせようとする意図を感じます。

だから、日本人はまだこれらの考えが十分わかっていない、これからも西洋の思想を上から注入しなければならない、みたいなウザイ考えが、良心的な若いリベラル派にもあります。(例えば倉持麟太郎みたいな。あるいは、それに影響される山尾志桜里も含めて)

でも、専門の人はわかっていると思いますが、人権思想や民主主義の考え方は、日本の近世にすでにありました。そのさらに昔からあったかもしれません。古代東アジアにそれを探る研究もあるかもしれません。それらは、日本史学などで最近になり明らかになりつつあります。

江戸時代に、天皇や将軍を、権力者が宣伝するとおり、文字通りに「神」だと思っていた庶民は、どれだけいたでしょうか。自分たちを支配し、自分たちに命令する「お上」の役人を、自分たちとはちがう人間以上の特別な生き物だと思っていた人は、どれだけいたでしょうか。

実際には、「偉そうにしているが、彼らもしょせんは俺たちと同じ人間ではないか」と心の中で思っていたのです。そういう記録は残りにくいのですが、少しずつ発掘されています。有名なのでは安藤昌益の思想にもあります。

「権力者も、もともとは、俺たちと同じ(権利をもつ)人間だ。たまたま俺たちが権力をもたせているだけだ」という思想。それは、たとえば江戸の後半に盛んになる一揆の参加者の思想でした。人権思想や平等主義、自由主義の思想です。

そして、その一揆のさいは、権力に処分されることを前提に、実行するかどうかをみんなで協議し、代表者を選び、代表者が処刑された場合の残された家族の保障までを決めていました。それは代議制や民主主義の考え方です。

よく言われるように、明治政府は自分たちの功績を正当化するために、江戸時代を暗黒時代のように描きました。江戸の人びとは政治的に暗愚であったかのようなイメージも、それに影響されています。

たとえば、黒船来航以来の江戸の幕僚の外交は、まったくダメだったように言われますが、それはまさに薩長の史観でしょう。実際には、幕閣の意外に手堅い外交を、薩長と孝明天皇の取り巻きが混乱させたとも言えます(この人たちが外国船を打ち払えとか騒いでいたのです)。

日本の戦後の思想界は戦前を悪く言いますし、江戸の権力者たちもそれ以前の時代を悪く言ったでしょう。歴史とは、後の権力者が前の時代を悪く言う言説の累積ですから、だまされないようにしなければなりません。

日本の近世(江戸)社会には、もちろん多くの欠点がありましたが、経済思想や科学思想でかなり進んでいたことは、よく言われることだと思います。たとえば、地動説などを(それを当時の蘭学者から聞いたとき)江戸の人はすんなり理解していました。その下地があったから「文明開化」もすんなり運んだのです。

政治思想についても同様ですが、いまだにロックやルソーやバークとかを出さないと正義や権利を語れないのは、情けないことです。

インテリほど、「代議制は古代ゲルマンの森で生まれた」的な、西欧「大思想家」のホラ話にだまされるのです。

われわれは、人権や民主主義を昔から知っています。庶民の正義感覚をバカにしてはいけません。問題は、その実行には、さまざまな権力の妨害があるので、その戦いをどう進めるか、ということなのです。

(終わり)



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