見出し画像

70-80年代ディスコの主役たちの死 ボニーM、ジンギスカン、ピート・バーンズ(Dead or Alive)

若い頃に好きだった、1970年代、80年代のユーロディスコのスターたち。

年を取ると、あの人たちはまだ生きているのか、死んでいるのか、が気になります。

ほとんどは、私と同世代か、少し上くらいなので。

そこで、「ボニーM」「ジンギスカン」「Dead of Alive」について、調べてみました。




ボニーMのボビー・ファレル  「ラスプーチンの呪い」で死亡


「ボニーM」は、西ドイツの音楽プロデューサー、フランク・ファリアンによって、1974年に結成されました。

「ボニーM」というグループ名は、ファリアンによって語感で選ばれたので、とくに意味はないようです。

オリジナルメンバーは、中南米から集められた、女3人、男1人。リズとマーシャはジャマイカ、メイジーはモントセラト、ボビー・ファレルはアルバ(南米のオランダ王国領)出身。


ボニーMのオリジナルメンバー。左からボビー・ファレル、マーシャ・バレット、リズ・ミッチェル、メイジー・ウィリアムス。実際に歌っていたのはリズとマーシャだけで、ボビー・ファレルとメイジーは口パクだった


レゲエとユーロディスコを融合させたユニークなサウンドで、今から振り返ると、ヨーロッパの多民族時代を先取りする先進性がありました。

「ダディ・クール」(1976)、「サニー」(1976)、「バビロンの河」(1978)、「怪僧ラスプーチン」(1978)などがヨーロッパを中心に大ヒットしました。


日本ではとくに「怪僧ラスプーチン」がヒットしましたね。

ニコライ2世皇后に性的魅力で取り入ったとされ、最後は政敵に暗殺されるーーロシア帝政末期の歴史的人物を、物語風に歌い込んでいます。


Ra, Ra, Rasputin
Russia's greatest love machine
It was a shame how he carried on

ラ、ラ、ラスプーチン
ロシアの偉大なラブ・マシーン
恥知らずな所業を続けた


当時のソ連でも大ヒットして、ラスプーチン再評価ブームが起こるほどでした。

私も大好きでした。この曲は、今なおTiktokなどSNSで使われ、世界的に人気です。

桜塚やっくん(2007)もカバーしてましたね。


ボニーM「怪僧ラスプーチン」



桜塚やっくんの日本語版「怪僧ラスプーチン」(2007)↓ 桜塚やっくんは2013年、交通事故で37歳で亡くなった


この曲で、ラスプーチンの格好で踊っていたボビー・ファレル(1949年生まれ)は、ボニーMのフロントマン、グループの象徴ともいえる人でした。

なんとなく風貌が日本人的で、ふだん真面目な親戚のおじさんがハメを外して踊っている感じで、私は親しみを覚えていました。


しかし彼は、プロデューサーのフランク・ファリアンと喧嘩し、1981年にグループを脱退しました。

ファレルは、ボニーM時代の肖像権や著作権を奪われ、「ボニーM」の名を使って活動することを妨げられたため、一時は生活に困窮したといわれます。

ボビー・ファレル(6 October 1949 – 30 December 2010)


しかし、ボビー・ファレルは、家族に励まされ、その後も、ファリアンが権利を主張できない国や地域で、「ボニーM」として活動を続けました。

ボビー・ファレルは、もともと歌えず、口パクで踊っていただけですが、後年のステージでは歌っていたようです。


そして、ボビー・ファレルは2010年12月30日、心不全のため、公演先のロシア・サンクトペテルブルクのホテルで亡くなりました。享年61歳。合掌。

奇しくも、94年前にラスプーチンが亡くなったのと同じ日、同じ都市でした。(ラスプーチンは1916年12月30日、当時の都市名ペトログラードで亡くなった)


プロデューサーのファリアンは、ボニーM以外にも、エラプション、ミリ・ヴァニリ、ラ・ブーシュ等をプロデュースし、ユーロディスコの影の帝王と呼ばれました。

彼は、2024年1月23日、アメリカの自宅で死去しました。享年82歳。死因は明らかではありませんが、2年前に心臓手術を受けていました。

ボニーMの生みの親、フランク・ファリアン(18 July 1941 – 23 January 2024)


ファリアンは、オリジナルメンバーのリズ・ミッチェル(1952年生まれ)による「ボニーM」を、正統と認めていたようです。

リズ・ミッチェルのボニーMは、ファリアンの死後の現在も、活動中です。(ただし、ボニーMは、いかなる形でも来日したことがないと思います)


死の前年(2009年)のボビー・ファレル「ボニーM」による「ラスプーチン」。スペイン北東部のサラゴサでの公演の映像↓


リズ・ミッチェルによる「正統」ボニーMの「ラスプーチン」↓



ジンギスカン 元祖「ジンギスカン」はエイズで死亡、3分裂して活動中


ボニーMの成功に刺激され、西ドイツのプロデューサー、ラルフ・ジーゲルが1979年に創造したグループが「ジンギスカン」でした。

デビュー曲の「ジンギスカン」(1979年)は、もろにボニーMの「怪僧ラスプーチン」の二匹目のドジョウで、これまた大当たりしました。


Dsching, Dsching, Dschingis Khan
He Reiter, Ho Leute, He Reiter, Immer weiter!

ジン、ジン、ジンギスカン
へー、騎兵ども、ホー、野郎ども、へー、騎兵ども、どんどん進め!

ーーの部分は、私が唯一歌えるドイツ語の歌詞です。


「ジンギスカン」の歌詞解説↓


ジンギスカン「ジンギスカン」↓



続いて、1980年のモスクワオリンピックに当てこんだ「めざせモスクワ」(1979年)も同様に大当たり。


ジンギスカン「めざせモスクワ」↓


この2曲は、ネット時代になっても、世界中で愛されています。

「ジンギスカン」はモンゴルで、「めざせモスクワ」はロシアで、今なお国家的に大事にされている楽曲。世界中で、いろいろな機会に演奏されています。


ジンギスカンのオリジナルメンバーは、オーディションによって集められた男4人、女2人の6人組でした。

オリジナルメンバー。左から、レスリー・マンドキ、ヴォルフガング・ハイフェル、エディナ・ポップ、ルイス・ヘンドリック・ポトギター、ヘンリエッテ・シュトローベル(当時はハイフェルの妻=のち離婚)、スティーヴ・ベンダー


このグループも多国籍で、レスリー・マンドキはハンガリー出身、ヴォルフガング・ハイフェルは東ドイツ出身、エディナ・ポップはハンガリー出身、ルイス・ヘンドリック・ポトギターは南アフリカ共和国出身、ヘンリエッタ・シュトローベルはオランダ出身、スティーヴ・ベンダーは西ドイツ出身でした。

最年長のエディナ・ポップが1947年生まれ、最年少のヘンリエッタ・シュトローベルが1953年生まれ。


このうち、ジンギスカンの格好で踊っていた、ダンサーのルイス・ヘンドリック・ポトギター(1951年生まれ)は、エイズのため1994年に死去。43歳の若さでした。


ルイスが亡くなった翌年、1995年に、テレビ番組「なるほどザ・ワールド」に招かれて、スティーヴ、エディナ、レスリーが来日しました。

そのスティーヴ・ベンダーも、2006年にがんのため亡くなりました。59歳でした。


グループとしての「ジンギスカン」は、ボニーMと同じように、プロデューサーと、新旧メンバーたちによる商標権の争いがありました。

現在は、「ジンギスカン」を名乗る3つのグループが乱立しています。

プロデューサーのラルフ・ジーゲル(1945年生まれ)による「ジンギスカン」と、オリジナル・メンバーのヴォルフガング・ハイフェル(1950年生まれ)による「ジンギスカン」と、2005年の再結成時に新しいメンバーとなったシュテファン・トラック(1971年生まれ)による「ジンギスカン」の3つです。

ジンギスカンの生みの親、ラルフ・ジーゲル Ralph Siegel


ラルフ・ジーゲルの「オリジナル・ジンギスカン」(2023)↓


ヴォルフガング・ハイフェルの「ジンギスカン」(2023)↓


シュテファン・トラックの「ジンギスカン」↓


ただ、オリジナルメンバーの「ジンギスカン」に親しんだ世代としては、あの初代「ジンギスカン」、ルイス・ヘンドリック・ポトギターがいないと、何か物足りないですね。



以上、「ノーランズ」と「アラベスク」を調べるうちに、副産物のように集まってきた素材を使った記事でした。

ユーロディスコの主役の死といえば、2016年に亡くなったイギリスのDead or Alive、ピート・バーンズが印象的でしたが、すでによく知られた話なので、以下に動画だけ貼っておきます。


ピート・バーンズ 整形失敗「顔面崩壊」後の死


ユーロビートの完成者とも言える、Dead or Aliveのピート・バーンズ。彼は何度も来日しています。

彼は、2016年10月23日、急性心不全のため、57歳で亡くなりました。

一世を風靡した「ユー・スピン・ミー・ラウンド」。視聴回数2億回超え↓


ピート・バーンズの「顔面崩壊」を報じるニュースバラエティ動画↓


ピート・バーンズの整形による顔の変化がわかる動画↓


美容整形の失敗で、顔相が一変したバーンズですが、かえってそれが話題になって、死の直前はメディアに露出し、人気が復活していました。

最後までミュージシャン、エンターテイナーとして務めた彼の生涯には敬意を表したいです。

最後は無一文で、葬式代はボーイ・ジョージが払った、というエピソードも有名です。


<参考>


いいなと思ったら応援しよう!