見出し画像

会社のOBと街で会う無駄

なーんか、現役時代に会社で会った人たちと、よく街ですれ違うんだけど。

新百合ヶ丘で。

マスコミと言っても、そんな大きな会社ではなかったのに。

その社員が、なぜか高確率でこのへんに住んでいるらしい。


他人の顔が、自分の見知ってる人に見えることはよくあることなので、最初は錯覚だろうと思っていた。

でも、何度も見るたびに、錯覚ではないとわかった。

向こうも、わたしの顔を見て「はて?」という表情をする。

見知っている程度で、親しいわけではない。名前もすぐ浮かばないから、声もかけづらい。

声をかけても、話すことがない。

そういうのが数名いる。


こういうことは、もっと大きな企業、銀行とか商社とかに勤めた人にも、よくあることだろうか。


現役時代は最前線で、顔に緊張感をみなぎらせて働いていた人たちだ。

それが、いまや新百合ヶ丘の商店街を、主婦やギャルに混ざって、日中あてどなくさまよっている。

まあ、わたしも同じだが。


いつか、どちらかから声をかけることが起こるだろうか。

「あなたは、もしかして・・」と。

そして、新百合ヶ丘のコーヒーショップか居酒屋で、会社の悪口やOBの行方を話題にすることがあるだろうか。

それが、老後の良きパートナーや友情を得る機会になるかもしれない。


でも、それも何か面倒だ。

せっかく会社を辞めたのに、会社時代の人間関係にしばられるのはどうかと思う。

せっかく忘れていた嫌な思い出がよみがえり、お互いのかつての仕事を批判し始め、老人どうしの取っ組み合いになるかもしれない。

同じ土地に住んでいるだけに、無駄に知り合うと、逃げられなくなる。


結局は、だんだんおいぼれていくお互いの姿を認めながら、ついに声をかけることなく終わるだろう。

やがてみな街をさまよう元気もなくなり、寝たきりになって死ぬだろう。

それは何か、「会社」というものの余韻か残像、長くさした影が、次第に薄れ、消えるかのようだ。




<参考>


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?