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【Netflix】「フィル・スペクターを追って」ロックを創ったクズ野郎のドキュメンタリー

【概要】

殺人事件ファイル
Homicide: Los Angeles

2024 | 年齢制限:16+ | 2シーズン | ドキュメンタリー

殺人課の刑事や検察官たちが、過去に担当した最も難しかった殺人事件を振り返り、再検証する。「LAW & ORDER」のクリエイターが贈る、戦慄の実録犯罪ドキュメンタリーシリーズ。

1. フィル・スペクターを追って
Hunting Phil Spector
60分

音楽プロデューサー、フィル・スペクターの邸宅で殺人事件が発生。捜査官たちは、ハリウッド史に残るセレブが絡んだセンセーショナルな事件の渦中に巻き込まれていく。

(Netflix公式サイトより)


【評価】

「ロー&オーダー」のチームがNetflix用に作っている犯罪実録シリーズ。

そのシーズン2の最初のエピソードが「フィル・スペクター事件」を扱っている。


フィル・スペクターは2021年に81歳で死んだ。

コロナで、刑務所で死んだ。(正確には、最後は刑務所から病院に移送された)

そのニュースは、なんとなく覚えているが、

「フィル・スペクターは、なぜ刑務所に入ってたんだ? そういえば、なんかあったような・・」

ぐらいにしか思わず、その後はすっかり忘れていた。


このネットフリックスの新作ドキュメンタリーが、「フィル・スペクターが何をしたか」を詳細に描いている。

知ってる人は知っていたのだろうが、わたしは

「こんなひどい男だったのか!」

と驚いた。



2003年2月朝、LAのスペクターの自宅で、女性が死んでいるという通報があった。

死んでいたのは女優のラナ・クラークソン。椅子に座った状態で、口の中で銃が発射されており、歯が飛び散り、顔は血まみれだった。銃はその足元に転がっていた。


まず、ここで紹介されるスペクターの、お城のような大邸宅がすごい。

でも、その邸内はゴミだらけで、ネズミやゴキブリが這い回っていたという。スペクターの精神の荒廃をものがたっている。


スペクターは前夜、LAの高級ナイトクラブに行き、そこでホステスを務めていたラナを自宅に「お持ち帰り」していた。

スペクターは、ラナが自宅でいきなり自殺した、と主張した。

だが、真相は、スペクターはラナを帰れないように閉じ込め、ラナが疲れて椅子で休んでいたところ、スペクターがいきなり口に銃をねじ込んだため、ラナが驚いて動き、銃が発射されたのだった。

その後の裁判で、スペクターは、よく女性を家に閉じ込めて、セックスを強要し、言うことを聞かないと銃を突きつけて脅していたことがわかった。



この事件で、フィル・スペクターの印象をさらに悪くしているのは、ラナが自殺したという主張を補強するため、裁判でラナのキャリアを侮辱したことであった。

ラナは、ロジャー・コーマン製作の「野獣女戦士アマゾネスクイーン」など一連のB級映画で主役を務めたあと、腕を怪我して役者を休業していた。

フィル・スペクター側は、「ラナは才能のないB級の役者なので、将来を悲観して自殺した」という印象を与えようとした。

それによって、ラナと家族をさらに傷つけている。


ラナがその夜、なぜスペクターの家に同行したかはわからない。

泥酔したスペクターをラナが車まで運んださい(スペクターは167センチと小柄だが、元モデルのラナは183センチの長身だった)、スペクターが強引に誘ったと見られる。

彼女は「枕営業」をする人ではないという証言はドキュメンタリーの中で出てくる。

しかしラナの方にも、フィル・スペクターとコネを作りたいという意思があっただろう。

LAのショービジネス界で生きていれば、フィル・スペクターから誘われて、断るのは難しかったはずだ。スペクターは、そこにつけ込んでいた。


ラナ・クラークソンは当時40歳。怪我で中断した芸能活動を再開したいと思っていたところだった



フィル・スペクターは、レコーディングのさいにも、銃を取り出してアーティストを脅すことがあった。

彼が「狂っている」ことは業界では有名であり、そのため1980年代以降は仕事を失っていた。でも、それは業界内の「公然の秘密」で、世間一般では、彼の「『音の壁』の伝説」だけが生き残っていた。

彼は1989年に「ロックの殿堂」入りし、1997年に「ソングライターの殿堂」入りを果たし、事件後の2004年にも、ローリングストーン誌が発表した「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」で第64位にランクインした(Wikipedia「フィル・スペクター」)。


その名声は裁判に影響し、検察は彼を有罪にできる自信がなくて、なかなか起訴しなかった。

やっと2004年に開かれた第一審では、陪審員はフィル・スペクターが有罪であると信じず、評決に達しなかったため審理無効となった。

一時は自由の身となったスペクターだが、検察は再審を請求し、2009年、再審裁判でようやく第2級殺人、懲役19年の判決が出た。


映画スターや有名人の街、LAでは、セレブが有罪になることは滅多にない。陪審員がそれを許さない。フィル・スペクター裁判の直前には、O・J・シンプソンが無罪になったばかりだった。

ドキュメンタリーの中では、フィル・スペクターへの有罪判決について、「LAで有名人の有罪判決は40年ぶり」と解説される。

そして結局、冒頭で述べたとおり、十数年服役したところで、81歳で死ぬ。



フィル・スペクターは、ポップロックのサウンドを創造した。

わたしが聴いた1960年代のヒット曲の中で、1曲選べと言われたら、わたしは彼がプロデュースした「ビー・マイ・ベイビー」(ザ・ロネッツ、1963年)を選ぶ。



キャッチーでありながら、ストリングスやコーラスを効果的に使い、それまでのポップスになかった、夢のようなゴージャスさを生み出した。1960年代といわず、20世紀を代表するような曲になっている。

この曲のサウンドがその後のポップスを決定したと言っていいし、日本では大瀧詠一らがそれを模倣した。


フィル・スペクターといえば、われわれの世代では、ビートルズ関連の一連のプロデュースで記憶される。

ビートルズ「レット・イット・ビー」、ジョン・レノン「ジョンの魂」「イマジン」、ジョージ・ハリスン「マイ・スイート・ロード」・・・


いま振り返ると、散漫で凡庸な曲でも、ゴージャスで劇的で立派な曲に見せてしまう「魔術」を感じる。

この頃、誰もがフィル・スペクターにプロデュースを頼みたがった理由がわかる気がする。

だけど、ポール・マッカートニーだけは、「ロング・アンド・ワインディング・ロード」で、スペクターがオーケストラなどのサウンドを重ねたのは「オーバープロデュース」だとして怒った。


考えてみれば、フィル・スペクターの「音の壁」そのものが「オーバープロデュース」「厚化粧」であり、それによってロックそのものが「オーバープロデュース」されていたのかもしれない。

20世紀のポップ音楽、とくにロックは、さまざまな「伝説」や「神話」を生み、それは今も残っている。

そろそろ「魔法」を解き、虚飾を外して、音楽の実体を評価すべきときではないか。

このフィル・スペクター事件のドキュメンタリーは、そのための「悪魔祓い」のような役割を果たすと思う。



<参考>





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