百田尚樹パージ
(以下、敬称略)
昨日、作家の百田尚樹が、以下のようにツイートしていた。
あのメディアの大攻撃がなかったら、今頃、村上春樹や東野圭吾を超えていたと思う。 けど、 そうなってたら、売れ筋のベストセラーばかり書くつまらない作家になっていたかもしれない。 何も恐れずに、好きなことを言ってる今の人生の方がずっと素敵やと思う。 これは負け惜しみでは全然ないです
なにか気の毒になってしまった。
村上春樹や東野圭吾を超えていたかどうかはともかく、百田尚樹は、本来なら平野啓一郎や島田雅彦などより、メディアに登場して意見を述べていてもおかしくなかった。百田の読者は、平野の10倍以上、島田の100倍以上いるのだから。
しかし、左翼リベラルの平野や島田はメディアからコメントを求められるが、右翼保守の百田がコメントを求められることはない。百田のSNSでの「暴言」を、スポーツ紙が面白がって取り上げるくらいである。
平野や、東京新聞の活動家記者原作の映画なら、メディアは好意的に取り上げ、映画賞も与えるが、百田原作の映画は、次第にメディアに無視されるようになり、原作者の名前が小さくなっていった。映画「永遠の0」が海外でも有名だったことを考えると、現状は気の毒というしかない。
百田尚樹は、主流メディアからパージ(追放)されているのだ。
「あのメディアの大攻撃」ーーたしかに、ある時期から百田氏は、メディアから攻撃されるようになり、その結果パージされるに至った。
それは、ちょうど、出版界での私の、現役最後の時代に当たる。
私は、これは、百田に対して、不当な扱いだと思っていたし、今も思っている。
「百田パージ」の記憶を、書き留めておきたい。
少なくとも「海賊と呼ばれた男」が本屋大賞を取った2013年ごろまで、百田はメディアの寵児であった。
同年に彼が登場した「情熱大陸」も、業界で評判になった。自著の書店販売に全力で協力する姿は、作家の鑑のように言われたものだ。
「メディアの寵児」時代の始まりは、もちろん「永遠の0」だ。2009年に講談社文庫になって、たしか500万部くらい売れた。
「メディアの大攻撃」が始まったのは、2013年末からだったと思う。渡部昇一や安倍晋三との共著が同年12月に出版された。
そして2014年、舛添要一が当選した都知事選で、百田は田母神俊雄を応援した。
政治にストレートに絡み、左派メディアの一斉攻撃の的になった。同年の「殉愛」でのモデル問題もあり、百田は次第に主流メディアから消えることになる。
百田の登場に恐慌を来した文壇
だが、百田尚樹が出版界で軋轢を生んでいたのは、そもそもの始まり、2009年の「永遠の0」文庫化からだったという印象がある。
その頃、何かの用で、講談社の編集者と会ったときの記憶が鮮明だ。
その編集者は、講談社文庫「永遠の0」の爆発的な売れ行きを、素直に喜んでいない様子なのだ。
「あんな人の本が売れて、困ったものだ」
くらいのニュアンスであった。
私は当時、百田の政治的姿勢も何も知らなかったので(「永遠の0」も読んでいなかった)、その編集者の態度に違和感だけが残った。
講談社は、どちらかというと(現場は)左翼が強い出版社だ。いま振り返ると、百田のヒットを喜ばない勢力が社内にいたのではないか。
それは、2014年の「海賊と呼ばれた男」の文庫化を最後に、百田と講談社の縁が切れていることからもわかる。
出版界の常識で考えるなら、本来、「永遠の0」をミリオンセラーにした講談社が、百田に直木賞なり吉川賞なりを取らせるよう、その後も面倒を見るものだ。
しかし、百田が取った賞は「本屋大賞」だけで、いかなる文学賞とも無縁だ。これも奇異である。
百田は、左派メディアに嫌われる前に、事実上、文壇からパージされていた。
それで思い出すのが、2013年ごろ、まさに百田がメディアの寵児だった頃に、ある作家が「恐慌状態」になっていたことだ。
その作家は、
「百田なんかがこれ以上売れたら困る。反百田の作家を糾合し、出版社もそれを支援すべきだ」
みたいなことを私に説くのだった。
なんと大げさな話か、過剰反応だ、と思ったが、その作家は本気のようだった。
私が知っているのは、文壇の、ごく一部だけだ。
しかし百田は、たぶん自分の想像以上に、既成文壇に脅威を与え、過剰なリアクションを招き寄せていたのではないか。
安倍晋三の政権が長引くにつれ、上記作家のいう「反百田」勢力と、メディアのアベガー勢力が糾合し、ベストセラー作家・百田尚樹はまるで存在しないかのように無視されるようになったのだ。
いわゆる「忘れられた作家」は文壇につきものだが、百田の例は別物だと思う。
また、保守派の流行作家も、三島由紀夫や曽野綾子など、普通にいた。保守だからパージされたということはないと思う。
百田の言動に理由があるのだろうか。
当然ながら、百田には、特定の政治家を支持する自由を含めた、表現の自由がある。
結局のところ、百田は、朝日などの主流マスコミに逆らうというタブーをおかしてしまったということだろう。
主流メディアに逆らうとどうなるか、という見せしめを受けている。それはある程度、安倍晋三の受難と同じだ。
しかし、こういうメデイアの偏向した態度は不当であり、社会の利益にならない、というのが、ここでずっと書いてきたとおり、私の考えだ。
百田尚樹VS井上達夫のリターンマッチを
あれは2016年くらいだったろうか。
百田と法哲学者の井上達夫が「朝まで生テレビ」で対決したことがあった。
井上が、
「保守のくせに米軍基地が日本にこんなにあるのが恥ずかしくないのか。安保タダ乗りが恥ずかしくないのか」
と百田を攻め、百田は黙ってしまった。
このあと、百田は「番組にはめられた」というようなことを言って、「朝ナマ」に出なくなった。
これは惜しいことだったと思う。
それ以後、百田は、お仲間たち、SNSで自分の賛同者たちに囲まれ、その外に出なくなったような気がする。
主流メディアが百田をパージしたのは事実だが、百田の方も、外界を怖がる「引きこもり」になっている。
私が百田の担当編集者なら、百田を何とか外に連れ出そうとするだろう。
私が編集者で現役なら、百田VS井上のリターンマッチを企画するだろう。
勝ち負けではなく、少なくとも百田に十全に喋らせ、その考えが「パージされて当然」な邪悪思想なのか、世に問う機会を与えるべきだ。
百田が本当の「忘れられた作家」になる前に、誰か仕掛けてくれないだろうか。
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