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【訃報】山崎元さんが計算した「がん死」のリスク
経済評論家の山崎元さんが1月1日に亡くなった。
食道がんは、最もつらいがんの1つだと聞く。
65歳とまだ若いのも痛ましい。ご冥福をお祈りしたい。
66歳の森永卓郎さんの膵臓がん発表につづき、60代のガン発症なので、同じ世代の私もひとごとではない。
私が好きな米俳優のアンドレ・ブラウアーさんも、12月に61歳で胃がんで亡くなった。
食道がんは、比較的珍しいがんの部位だが、なぜか私の周りに多かった。
マスコミだったからだと思う。
マスコミ人は、タバコと酒が大好きだ。
タバコと酒は、がんのリスクを確実に高める。食道がんはとくにそうだ。
山崎元さんは、ウイスキーをストレートで飲むのが好きだった。
膵臓がんだが、森永さんはヘビースモーカーだった。
アンドレ・ブラウアーさんは、50歳まで喫煙者だった。
私は50歳でタバコをやめたが、酒は退職するまでやめられなかった。
引退したいまは、酒もほとんど飲まない。
ほかの食べ物は、がんへの寄与が低いので、とくに気にする必要はない。
しかし、加齢という最大のリスクに加えて、酒とタバコをつづけるのは、リスクが高すぎる。
老年が近づいたら、酒とタバコは、できるだけ早くやめたほうがいい。
なぜ酒とタバコは、なかなかやめられないのか。
結局、ストレス発散に必要なのだ。
それでも、タバコについては、多くの人が50歳くらいでやめる。
しかし、やめられない人がいるのもわかる。
50歳くらいから、出世の最終段階で、ストレスがふえる人たちがいる。
そこから忙しくなる人は、世間的にはエライ人だが、それゆえストレスがつづき、酒やタバコが手放せなくなる。そういう人も多いのではないか。
森永さんも山崎さんも、経済評論家なので、健康リスクについては日頃から計算していただろう。
山崎さんについては、がんが発見された2年前から、治療経過や、経済評論家から見た「がん死」のリスク計算を、noteなどで発表している。
それを、がん治療医の押川勝太郎さんが、医者の目で評価していた。これを見て、ずいぶん勉強になった。
食道がんの山崎元さんが語っていた治療教訓とは(押川勝太郎 1月5日)
山崎さんは、故近藤誠の「がんもどき」理論の信奉者で、「早期発見は意味がない。発症してから対応すればいい」と考えていた。
内視鏡検査がわずらわしい、ということがあり、健康診断はサボりがちだった。
ウイスキーが好き、というリスクがあったのだから、この態度は間違っていた、と反省していたようだ。
私も酒とタバコをやっていたから、食道がんのリスクが高いと思い、胃と食道の内視鏡検査は、2年おきくらいに受けている。
たしかに、あんないやな検査はないが、医療が進歩しているのか、こちらが慣れてきたのか、むかしほどイヤではなくなった。
食道がんになったら、「人類が耐えられる極限」と言われる、つらい手術を受けなければならない。それにくらべれば、内視鏡検査は楽だ、というのが私のリスク計算だ。
亡くなる直前、12月25日に、山崎さんは最後のnoteを書いていた。
そこには、こうある。
最期の日のぎりぎりまで幸福は追求できる。一方、他人はその人を過去の業績その他で評価しようとするかも知れない。実は、このズレを上手く利用することが良い人生を送るコツになるのではないか。「本人」にとって、他人からの評価は「サンクコスト」に過ぎないからだ。
いくら努力しても過去の蓄積を「本人」は将来に持ち込むことが出来ない。
過去は「他人」のもの、最期の一日は「本人」のものだ。お互いに機嫌良く過ごす上で邪魔になるものは何もない。
上機嫌なら全て良し、と思うがいかがだろうか。
有名になる人は、有名になりたがった人だ、と心理学者が言っていた。
有名になりたがる人は、人が記憶する「過去の業績」を追求する人だ。
山崎さんも、森永さんも、その追求のためのリスクに、気づいていなかったわけはないと思う。
しかし、気づいていても、健康のために「業績」や「名声」をあきらめる人は少ない。
50歳時点で、人が評価するような「業績」も「名声」も残せなかった私のような人間は、むしろ幸運だったと思いたい。
だから、タバコをやめるのが比較的容易だった。
いま酒を飲まなくてすんでいるのも、何もしてないからストレスがないからだ。
「上機嫌ならすべて良し」とも私は思わない。上機嫌を求める人が、業績を求め、酒とタバコを求める。
ふつうに健康であればよい。
そして、長生きすればすべてよし、である。
健康に気をつけても、いつかは病気し、いつかは死ぬけれども、できるだけのことをする。
それでいいのであって、それ以上の「計算」は私にはわからない。
<1月10日追記>この原稿を書いたあと、「貯金すべきなのは『お金』ではなく『健康』」という記事を読んだ。うまい表現だと思う。そのとおりでしょう。
<参考>