【YouTube】「一高生活」100年前の東大生の眩しい姿
<概要>
『一高生活』(イチコウセイカツ、1930年)
松竹キネマ株式会社
33分,染色,サイレント
協力=駒場博物館
現在の東京大学教養学部の前身にあたる旧制第一高等学校(一高)の寮生たちの生活の様々を収めた作品で、1935年に農学部との敷地交換により駒場に移転する前の本郷(向ヶ丘弥生町)時代の貴重な記録である。やがて去ることになる学校の姿と年中行事を映像として残すことは寮生たちによって企画された。参考文献(『向陵時報』各記事)の記述から、撮影されたとみられるものの、元素材では確認できない行事があることが分かる。また10月の日光での野外演習(行軍訓練)の途中に、7月の山中湖畔の合宿風景が挿入される形になっているが、そのままの状態で公開する。
(YouTube解説文より)
【全篇】『一高生活』1930年|「フィルムは記録する」より(国立映画アーカイブ 2024/9/26)
<評価>
国立映画アーカイブが9月26日、興味深い歴史的映像を、またたくさんYouTubeで公開しました。
日本最初期の「映画」として教科書に載っている「史劇 楠公訣別」(1921 重要文化財)とか、飛行船ツェッペリン伯号来日の記録(1929)とか。
まだ私も、全部は見ていません。
その中で、私が注目したのが「一高生活」です。
面白かったです。完全にプロの撮影で、映像も美しい。
歴史的映像なので、採点はしませんが、東大ファンにはたまらないでしょうし、日本史や教育史に関心がある人には、得るところが大きいと思います。
5つの見どころ
以下、見どころを5点にまとめてみました。
1 一高(東大教養学部)が、駒場に移る前、現在の東大農学部にあった時代の貴重な映像
2 一高生の本格的な軍事演習、行軍訓練の記録
3 15年戦争(1931〜)直前の映像なので、平和でのびのびした青春
4 保養所があった山中湖の100年前の美しい自然
5 日光・華厳の滝で自殺した「先輩」藤村操をしのぶ一高生の姿
上の解説にあるように、寮生自身の企画で、思い出のために撮影されたものなので、国のプロパガンダ臭はありません。
しかも、映像のほとんどは、学校の夏休みが終わった秋の光景ですから、今のシーズンにぴったりです。
記録として結構長尺(33分)です。事前の知識や解説がないと、面白みが少ないかもしれません。
参考文献としては、以下の丹野義彦さんの論文が大変有益でした。
君は旧制一高を知っているか? 絵解き 地図と写真で歩く旧制高校 (丹野義彦 ・東京大学客員教授)
https://tannoy.sakura.ne.jp/hitotsubashi.pdf
https://tannoy.sakura.ne.jp/mukou.pdf
東大の引越し
一高・東大のルーツといえば、ペリー来航3年後の1856年(万延3年)にできた「蕃書調所(ばんしょしらべしょ)」。江戸幕府による洋学の研究所でした。
これは、今の九段下にありました。旧九段会館の近くに、碑がありましたね。私は、会社の昼休みに偶然見つけ、「へえ、こんなところにあったんだ」と思ったものです。
これが、開成学校(のちの東大)と名前を変え、今の千代田区一橋に移ってきます。
地下鉄の駅でいえば、神保町と竹橋のあいだ。小学館・集英社や毎日新聞社があるあたり。
もともとは徳川御三家の一橋家の屋敷があったから「一橋」ですが、広い範囲が、江戸市中の火事が江戸城に延焼しないように、空き地になっていました(火除け地)。だから、学校を建てやすかったんですね。
この一橋に、明治期、東大、一高、東京商科大学、東京外国語大学など、主要な大学施設が集中しました。東京商科大学がのちに「一橋大学」と言われるゆえんです。
東大は、今の学士会館の場所にありました。学士会館は旧帝大卒業生の交友施設ですが、来年取り壊すそうですね。如水会館というのが今も近くにありますが、これは一橋大学の交友会施設です。
一高は、もともとは東京英語学校で、東大とは別の学校として、今の共立女子大のところにありました。それが1877年(明治10年)、東大予備門となり、東大と合体します。
このあたりの学制の歴史は、複雑怪奇なので、東大の入試問題に出せばいいと思うんですけどね。
その後、1889年(明治22年)に、向ヶ丘弥生町、今の東大農学部の敷地に移りました。この弥生町で発掘された土器が「弥生式土器」と命名され、弥生時代の名が生まれました。
一高は、一橋→向丘→駒場、と場所を変えてきました。その歴史をまとめれば、以下のとおりです。
一橋キャンパス時代
(現在の神保町と竹橋の間、共立女子大、学士会館のあたり)
1873 東京英語学校<開成学校=東京大学の向かいにあった>
1877 東京英語学校→東京大学予備門に改名<東大の敷地内に引越し>
1884 東大は本郷に移転(1897から東京帝国大学)
1886 東京大学予備門→第一高等中学校に改名
向丘キャンパス時代
(現在の本郷・東京大学農学部)
1889 第一高等中学校、向ヶ丘弥生町に移転
1894 第一高等中学校→第一高等学校(一高)に改名
駒場キャンパス時代
(現在地)
1935 第一高等学校、駒場に移転
1950 第一高等学校→東京大学教養学部に改名
文武両道の記録
一橋キャンパス時代の映像は、残っていないと思います(写真や絵は多い)。
向丘キャンパスの映像も、YouTubeの解説にあるように、1935年には駒場に移ったため、大変珍しいものです。
この一高(一中)向丘キャンパスは、内村鑑三不敬事件(1891年)や、徳富蘆花の「謀反論」演説(1911年)など、歴史の舞台になりました。
*内村鑑三不敬事件 当時一中の教員だった内村鑑三は、クリスチャンだったため、教育勅語奉読式で最敬礼せず、不敬事件として責められて依願退職した
*蘆花の「謀反論」演説 作家の徳富蘆花が、一高弁論大会に招かれ、大逆事件で幸徳秋水らが死刑に処せられたことに抗議した(謀反論)。それにより、校長の新戸部稲造が譴責処分を受けた
この「一高生活」に、勉学のシーンは登場しません。
キャンパスで野球などのスポーツに興じる姿と、寮の自治会の様子、山中湖での夏休み(当時も今も山中湖には東大関連の施設が多い)、日光での行軍訓練の様子です。
私が面白いと思ったのは、本編の多くを占める「行軍訓練」です。
上の丹野義彦の論文に、一高キャンパス内に武器庫があったことは記されていますが、学生が全員、本物の小銃を持って訓練しています。サバゲーみたいな紅白戦をやってます。空砲でしょうが、発砲もします。
この訓練が細かく記録されているのは、寮生にとって思い出深かったからでしょう。しかし、一高生の行軍訓練について、私は詳しく記した文章を見たことがありませんでした。
寮内では学生自治会が民主的な討議をおこない、一方で、軍の指導で銃を持った軍事演習をおこなっている。当時の「文武両道」の教育方針、国のエリートの育て方がよくわかります。(こういうのは、戦後のGHQによって骨抜きされたところでしょう)
一高から東大に進むのは大変厳しく、夏目漱石などが落第したのはよく知られています(再受験で合格)。
だけど、学生の表情は明るく、スポーツやキャンプファイアーで、のびのびと青春を楽しんでいる姿が伝わってきて、見ていて楽しかったです。
<参考>