怪談・モンキーズ供養
きのう、「下北沢怪談」という創作、まあ掌編小説の真似っこみたいなのを書いたんだけど。
下北沢で、大学時代の友人と会った、というところから始まる怪談。
それは、おととい(12月10日)、実際に下北沢で、大学時代の友人たちと飲んだ時(まあ忘年会みたいなやつ)に、思いついた話なんですよね。
正確に言えば、下北沢に早く着きすぎたので、街をぐるぐる回っているうちに、「怪談」を思い付いた。
下北沢って、駅の周辺は若者の街だけど、少し歩くと、細い道路に古い民家が混在していて、ちょっと不気味じゃないですか。
私は不気味だと感じる。それで「怪談」を一つ思い付いて、スマホにメモしたんですね。
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実際の飲み会は、陽気で楽しかったけどね。
みんなロック好きだから、ロックの話になった。
まあ、60過ぎた年寄りの、昔のロックについての談義ですよ。若者が「ヴィンテージ」というやつ。
そのとき、「ビートルズVSモンキーズ」という話になった。
僕らは、TVで「モンキーズ」をリアルタイムに見てた世代です。
1967年、モンキーズの3枚目のアルバム「ヘッドクォーターズ(灰色の影)」がビルボード1位になった翌週に、ビートルズの「サージェント・ペパーズ」が発売になった。
それで、「ヘッドクォーターズ」が、「サージェント・ペパーズ」に1位を奪われーーという歴史的場面があったんだよね。
その頃までは、ビートルズとモンキーズって、今ほど、評価に差がなかった。
でも、その頃から、「モンキーズは、実際に演奏していない、嘘のバンドだ」と言われ始めて、モンキーズ叩きが始まる。ビートルズと比較してね。
それで、今では天と地ほど、評価の開きができてしまった。
「いまだにモンキーズは『ロックの殿堂』に入れてもらってない。これ、どう思う? 不当だろう。我々の残りの人生で、この不当性を訴えていこうではないか」
と私が友人たちを煽ると、
「まあ、モンキーズは殿堂入りしてもいいと思うけど、ビートルズとはやっぱり、本質的にちがうからなあ」
と、「友人A」に反論された。
「何がちがう。同じようなもんじゃないか」
「そりゃ、無茶だ。モンキーズのアルバムで実際に演奏してたのは、レッキング・クルーみたいなスタジオミュージシャンだったことは事実だし」
「それは2枚目までだ。カーシュナーていう音楽プロデューサーの意向でそうなったまでで、モンキーズのメンバーは不満だった。だから3枚目からはカーシュナーを追い出して、自分たちでやっている」
「でも、結局、よかったのは最初の2枚までで・・」
「何を言ってる。そんなことはないだろ。お前、寿命を早めてやろうか」
ーーみたいな激論になったんだけど。
そんとき、飲む時はもっぱら聞き役になる「友人B」(友人Aの親友で私とは卒業後の付き合い)が、おもむろに口を開いて、雄弁になったんですね。
「モンキーズは、『HEAD』が面白いんだよ」
と、1968年の大コケ映画を持ち出して、モンキーズを持ち上げ始めた。
「おお、ここに、俺以上のモンキーズ主義者がいた!」
と思って、私も興奮しちゃって。
それからは、彼と、モンキーズ愛を競い合って、大いに意気投合したわけですよ。
メンバーのマイク・ネスミスが好きというのも共通していて、モンキーズ解散後のネスミスも、私以上に聴いているらしい。
彼が言う。
「知ってるか? 日本のカラオケにも、マイク・ネスミスの『シルバームーン』が入ってるんだ」
「本当か? 誰が歌うんだ?」と私。
「俺が歌うんだよ」
「おお、歌うのか! 今度一緒に歌おう」
「いいね! ただし、酔っ払ってると、カラオケにmonkeysと入れちゃう失敗を繰り返すんだよね」
「わかる! 正しくはmonkeesって知ってても、俺もつい間違える」
みたいな話で大いに盛り上がった。
*
で、実はさっき、朝起きてから気がついたんだけど、2日前、12月10日って、マイク・ネスミスの命日だったんだよね。
3年前の2021年12月10日に、彼は亡くなっている。78歳、心臓発作で。
まったくの偶然だったけど、いい供養になったなあ、と思って。
これぞ怪談、というか、いい意味での怪談ではなかろうか。
そして、彼が生きているうちに、モンキーズの「殿堂入り」を見たかったなあ、と改めて思ったわけです。
マイク・ネスミス&1st ナショナル・バンド「シルバームーン」(1970)
モンキーズ「クリスマスソング」
死の1カ月前、ミッキー・ドレンツと「デイドリーム・ビリーヴァー」を歌うマイク・ネスミス
<参考>